随筆集

2021年2月9日

将棋の駒の書体「無劍」は大毎取締役の号だった ― 連載小説「無月の譜」から

 毎日新聞朝刊の連載小説、松浦寿輝作「無月の譜」66回(2021年2月9日朝刊)に将棋の駒の書体についてのやりとりに、こうある。

 飛車の裏は龍王、角の裏は龍馬であるが、竜介が手にしている駒の「龍王」「龍馬」の字は、隷書よりももっと象形文字に近い、絵とか図のような感じがする記号だった。

 ――その「龍王」「龍馬」は、隷書体よりさらにいにしえに遡(さかのぼ)る、篆書(てんしょ)体の字なんだよ。歩の裏の「と金」も面白い字だろう。字というのか、記号というのか。人が武器を持って手を広げているみたいに見えるだろ。この無劍(むけん)という書体はたしか、われわれと同郷の、信州出身の政治家の手になる書から作られた、というんじゃなかったかな。

 竜介が後になって調べてみたところでは、「無劍」は、長野県松本市生まれの政治家・実業家である渡辺千冬(一八七六-一九四〇)の、書家としての号なのだった。隷書が得意な書家だったらしい。衆議院議員、貴族院議員となり、浜口雄幸内閣、第二次若槻礼次郎内閣で司法大臣を務めた。大阪毎日新聞社取締役、枢密顧問官といった重職にも就いている。理論物理学者の渡辺慧(さとし)は、その渡辺千冬の息子なのだという。

 渡辺千冬は、毎日新聞の社史に1932.12.21~39.9.1取締役とある(『「毎日」の3世紀』)。どういう経緯で取締役に就任したかは記述がない。

 ネットで調べると、1908(明治41)年衆院選で当選、政友会に入党。19(大正8)年養父国武が没し、子爵を襲爵。翌年、貴族院議員に選ばれ再び政界へ。29(昭和4)年浜口雄幸の民政党内閣で司法大臣に就任。36(昭和11)年、現在の国会議事堂が完成したとき、貴族院を代表して記念演説をした、などとある。

 その前段に《(東京帝国大学)卒業後、フランスへ留学し、帰国後、電報新聞社主筆》とあった。

 「電報新聞」は、千冬の養父渡辺国武が1903(明治36)年11月23日に創刊。3年後に大阪毎日新聞社に買収され、題字が「毎日電報」と変わっている。

 「電報新聞」創刊時、千冬はフランス留学中だったといわれ、「主筆」は一時期だったと思われる。

 「毎日電報」は、大阪毎日新聞の東京進出→全国紙展開の足掛かりになったもので、さらに1911(明治44)年3月1日付「東京日日新聞」は、「毎日電報」合同とうたった。

 「大阪毎日新聞」が「東京日日新聞」を吸収合併したのだ。「毎日新聞」に題字を統一したのは、1943(昭和18)年1月1日からだった。

 以下は、『慶応義塾出身名流列伝』(1909年6月刊)にある渡辺千冬の紹介である。

(堤  哲)

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