随筆集

2021年2月19日

お天気キャスターの先駆け・倉嶋厚さんのこと

 社会部の遊軍記者になって最初にやらされるのはお天気原稿だ。気象庁の天気相談所に電話して、気象概況を解説してもらい、夕刊早番から出稿する。遅くても午前10時半までにはデスクに渡さなければいけないので、結構シンドイ仕事だった。

 ことし関東地方に「春一番」が吹いたのは、2月4日だった。これまで最も早かったのが1988(昭和63)年2月5日。過去の記録を更新したのだ。これも異常気象?

 「春一番」は、お天気キャスター倉嶋厚さん(2017年没、93歳)が命名した、と社会部旧友・倉嶋康さん(88歳)がFacebookに書いている。

 [春一番] 2021年2月15日

 「春一番」は私と年の近い叔父の倉嶋厚が気象庁で予報官をしていた時に命名しました。そのころ私は竹橋の気象庁のすぐ近くにある毎日新聞東京本社の社会部にいて、時々気象庁に遊びに行っては特ダネをつかんだり、叔父がパレスサイドビルに来て地下で一杯やったりしていました。

 ある時大阪本社から同期の丹羽郁夫という記者が東京社会部に転勤してきました。私の一番の親友となりましたが、叔父の厚のことを知って私にこうこぼしました。

 「大阪で気象台を担当していた時にオレは『大南風』って名付けて盛んに使った。でも『春一番』のソフトなタッチには負けてしまった」と。

 自分が作った言葉が後世まで使われるってうれしいことです。え、私? そうだなあ、「ニア・ミス」を「異常接近」と訳したくらいかな。

 倉嶋さんは、気象庁主任予報官→札幌管区気象台予報課長→鹿児島地方気象台長を歴任し、1984年定年退職。そのあとNHKの気象キャスターとなる。

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気象解説をする倉嶋さん(ネットから)

 お天気をわかりやすい言葉で説明した。「熱帯夜」(最低気温が25度以上の日)は倉嶋さんの造語だ。

 「雨一番」も。北海道など北国でその年初めての雪が混じらない雨を呼ぶそうだ。

 「台風は大きなバケツ」「ゲリラ豪雨」「光の春」(ロシアでは光のちょっとした変化で春を感じる)。『やまない雨はない』(文藝春秋)はうつ病を克服した自身の体験記の題名だ。「日の差す方角ばかり探している人に、虹は見えない」という言葉もある。

 いま人気の気象予報士・森田正光さんが偲んでいる。

 《倉嶋さんは、よく「人文気象学」あるいは「風流気象学」といって、普通の人々の生活感覚や、季節感、自然感が大切だと、おっしゃっていました》

 《倉嶋さんは、天気解説で大事なことは「おやまあ」「そうそう」「なるほど」の三つだといいます。「おやまあ」は、びっくりするような発見や出来事、そして「そうそう」というのは、今日は風が強くて困りましたね、というような共感、さらに「なるほど」というのは、視聴者の方がその説明を聞いて納得することだそうです》

 《倉嶋さんが亡くなられた8月3日は、一年の中で一番暑い時期です。その暑さも楽しみながら、来年から私は8月3日を「熱帯夜忌」と呼ぶつもりです》

 丹羽郁夫さんは1970年没、40歳だった。

(堤  哲)