随筆集

2021年3月22日

警視庁キャップ健ちゃんが訴えた「12の訓戒」

 社会部旧友・中島健一郎さん(76歳)がFacebookに、自身のメモを公開した。1985(昭和60)年8月1日に警視庁キャップになった時、クラブ員に話したものだ。

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 ②の「異心円で回れ」は、他の記者と同じように取材して駄目という意味。⑤の「怠けるために働け」は、先手を打って特ダネを書けば、しばらくは怠けていても許されるという秘訣だそうだ。

 その時のメンバーは——。サブキャップ取違孝昭(元東日印刷社長)▽捜査一・三課担当恩田重男、広瀬金四郎(故人)、齊藤善也(毎日新聞大阪本社代表)▽捜査二・四課担当武田芳明(東日印刷社長)、丸山昌宏(毎日新聞社長)、原敏郎(パレスサイドビルなどを管理する毎日ビルディング社長)▽警備・公安担当森戸幸生(元スポーツニッポン新聞社長)▽防犯・交通担当中村静雄(船橋市議、元同市議会議長)。

 《僕はその年の4月にワシントン特派員から帰国し、宮内庁を担当した後、警視庁キャップになりました。3年間の警視庁時代にサブは取違、警察庁担当から横滑りの常田照雄(元専務)、森戸と3人。1課担当は藤本敏朗、小川一、防犯・交通担当も一瀬博明、平沢忠明と引き継がれました》

 《キャップになって直ぐロサンゼルスで起きた銃殺、傷害事件で三浦和義が疑われた「ロス疑惑」の取材に追われました。また8月12日にはグリコ森永事件の犯人からの「くいもんの会社 いびるの もお やめや」という終息宣言でバタバタしていたら夕刻に日航ジャンボ機墜落事件でクラブメンバーを8人現場や日本航空に取材に行かせる修羅場となりました 。とても「怠けるために働け」どころではなかったです》

 キャップ中島健一郎(68年入社)、いや健ちゃんは、伝説の特ダネ記者である。長野支局時代の連合赤軍「あさま山荘」事件。犯人逮捕、人質の山荘管理人の妻泰子さんが救出され、軽井沢病院に収容された。精神科医や警察が泰子さんに事情聴取している一部始終を報じたのが健ちゃんだった。

 《病院の前は各社の記者・カメラマンでごった返していた。1人裏手に回ったら、病室でのやりとりが聞こえた。機動隊が警備していたが、窓際にへばりついてメモをとった》

 「異心円で回れ」の典型である。

 警視庁捜査一課担当時代も特ダネを連発した。私(堤)は防犯・交通担当として警視庁クラブに一緒にいたので、よく憶えている。警視庁キャップ内藤国夫(1999年没62歳)、サブ澤畠毅(2021年没81歳)の時代である。

 健ちゃんは、その後ロッキード事件の取材班に加わり、警視庁二課担OBの板垣雅夫さん(65入社)と「中板コンビ」で発掘取材、特ダネを連発した。その活躍ぶりは『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社1977年刊)に詳しい。

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 写真は、英会話の先生を囲んでの記念撮影である。警視庁クラブで毎週土曜日に英会話教室を開いていたというのだ。前列左から丸山昌宏、中島キャップ、ドーリーン先生、原敏郎。後列左から武田芳明、平沢忠明、森戸幸生、吉田弘之(アジア調査会専務理事・事務局長)、恩田重男、小川一(前毎日新聞取締役)、齊藤善也。

 《ナゼ事件記者が英会話かというと、事件の国際化もありますが、英語を学ぶくらいのゆとりがあるべきとの思いからでした。それにワシントン特派員の時に「もっと語学力があったらなー」と臍を噛んだから。七社会では東京新聞がマネして英語教室を始めましたね》

 《先生のドーリーン·バーデンさんはアメリカ大使館に紹介してもらいました。会話レッスンでは事件が話題になることが多く、ドーリーンさんは「日本が良く分かる」と喜んでいました》

 もう1枚。

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 前列左から安藤隆春広報課長(のち警察庁長官)、三木賢治(警察庁担当)、小川一、中島健一郎、常田照雄。後列左から2番目から一瀬博明(故人)、吉田弘之、齊藤善也、川口裕之(現監査役)恩田重男、?、原敏郎、山本隆行

 《この野球の写真は七社会の対抗戦の時です。共同通信が優勝し、毎日新聞は準優勝でした》

 あれから36年——。現在の佐々木洋警視庁キャップ(2000年入社)は、健ちゃんの32年後輩で、警視庁キャップは19代あとである。

(堤  哲)