随筆集

2021年4月1日

「子ども大学」に託した一教育記者、矢倉久泰さんの夢

1日発行の季刊同人誌『人生八聲』26巻から転載

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写真は「問いを学ぶー子ども大学かわごえ=「設立の助走」(2009年3月18日)から

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 飛行機はなぜ空を飛べるのか、あんな重い物体が地上に落ちてこないのはなぜなのだろう。そんな子どもたちの素朴な疑問に答えながら、学ぶことの本当の楽しさを味わう場としてつくられたのが「こども大学」である。立ち上げ人の一人が、毎日新聞の教育記者だった矢倉久泰さんである。

 子どもは人間として成長する過程で、自然や社会についてさまざまな根源的な疑問を抱くが、現在の日本の教育は知識のつめこみ偏重になっているので、「学び」の原点を大切にしたいというのが彼の願いだった。二〇〇八年末に「子ども大学かわごえ」が埼玉県川越市に設立された。

 この構想を矢倉さんに持ちかけた元商社マンの酒井一郎さんによると、子ども大学の発祥の地はドイツである。ドイツでも子どもの学力低下への危機感から、教育改革への取り組みがなされるようになった。そのなかから、各地の大学を拠点に、大学の教員たちがそれぞれの専門研究分野に基づき高等教育のレベルの質を維持しつつ、子どもたちの知的好奇心にこたえ、かれらの探究心を養っていく構想がまとまっていく。

 二〇〇二年にチュービンゲン大学で子ども大学の第一号が誕生した。最初の講義は「なぜ恐竜は滅びたか?」。大きな反響を呼び、その後、同国の諸都市を中心にスイス、オーストリアを含め一〇〇近い子ども大学が開かれているという。

 酒井さんはドイツでのビジネスの第一線をし退いたあと、日本でも従来の教育では満たされなかった教育ニーズに応えるべく、ドイツのような試みに挑戦してみようと思い立った。日本の教育をよく知る矢倉さんと協力して、日本独自のモデルの構築に知恵をしぼり、川越の大学、行政、企業、市民、父兄などの協力を得て、日本初の「市民立大学」を誕生させた。

 カリキュラムは「はてな学」、「生き方学」、「ふるさと学」。地元の東京国際大学、東洋大学、尚美学園大学の教員のほかに外部の専門家たちを講師に、「なぜ飛行機は空を飛べるのか?」「なぜいのちを奪ってはいけないのか?」「『はやぶさ』と子どもたち」「原子力発電について考える」など、魅力的な講義が小学生の「学生」を相手に開講した。テレビをはじめ新聞、雑誌で引っ張りだこ凧のジャーナリスト池上彰さんも、客員教授を引き受けてくれた。彼の抜群のニュース解説力は、NHKの人気番組「週刊こどもニュース」でのお父さん役で磨き上げられたもので、池上さんは新大学の趣旨をよく理解してくれ、超多忙のスケジュールの合間をぬって、年1回の講義を続けた。

 私も一度、矢倉さんの推薦により講義をした。「『平和』ってなんだろう? ノーベル平和賞受賞者たちのしごと」というタイトルで、一〇〇名ほどの小学4~6年生と父兄を前に話をした。東日本大震災の翌年二〇一二年のことだ。私は当時、千葉市幕張の神田外語大学で教員をしていたが、大学生レベルのことを小学生にわかりやすく話すのは容易ではなく、いささか緊張した。

 まず、「『平和』という言葉を聞いて、どんなことを考える?」と質問すると、男の子と女の子が三、四人元気よく手をあげた。「毎日、おいしいものを食べられること」「朝起きてから普通の生活が送れること」「家族や友だちと仲良く暮らせること」という答えが返ってきた。たまたまだろうけど、「戦争のないこと」と答えたのは四人目の男の子だった。

 この反応には、やや意外な感じがした。というのは、大学生からは、平和=戦争のない世界という答えがまず返ってきて、それを受けて、現在の世界では平和とはもっと広い意味で理解されているのだという説明として、ノーベル平和賞受賞者の業績が軍縮や安全保障だけでなく、人権、民主化、環境、貧困などの問題解決への貢献を対象としている事実に言及することが多いからだ。

 でも子どもたちが真っ先にこのように答えたのは、「3・11」の衝撃の大きさによるのかもしれないと思いつつ、たとえばおいしいものを食べられるには何が必要かを子どもたちと一緒に考えていく。そこで、環境保護活動で〇四年のノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんの新聞記事のコピーを読んでもらう。

 地球環境が破壊されてしまったらおいしい食べ物を作ることはできない、そこでマータイさんが世界中の人びとに広めようとしたのが日本語の「もったいない」だと書かれていることを知ると、子どもたちは感動した表情になる。日本語が世界語になることを通じて、自分たちの身の回りの平和と世界の平和がつながっていることが発見できたのだ。

 戦争と平和についても、新聞記事を教材にした。〇三年三月にイラクに対する米英の侵攻が迫っていたころ、世界の六〇カ国で、一〇〇〇万人の人びとが同じ日に「戦争反対!」の行動に立ちあがったというニュースだ。その一〇〇〇万人のなかの一人である、米国の一三歳の少女シャルロット・アルデブロンさんが地元の集会で行った反戦スピーチの記事も添付した。スピーチは日本語など9カ国語に訳されてインターネットで紹介され、彼女のもとに三〇〇〇通の反響メールが届いた。

 新聞記事は小学生にはやや難しいのではないかと思われたが、小、中学校で教科書に新聞記事が載るようになったので、あえて教材にしてみた。講義後にかわいらしい文字で書かれた「学生」たちの感想文を読ませてもらった。ややわかりにくかった点はあるものの、みんながかなりきちんと私の話を理解してくれたようだということがわかり、ホッとした。

 子どもたちがとくに感動したのは、自分たちとほとんど年齢の違わない米国の少女の勇気あるスピーチ、マータイさんの「もったいない」運動。そして、日本の憲法が「戦争の放棄」とともに、世界中の人びとが私たちとおなじ「平和」な暮らしをしていけることをめざした「平和憲法」なのだということも学べたようだ。

 「今、『なぜ』と思うものはありますか」という感想文の最後の項目に、何人かがこう書いていた。「なぜ人は戦争をするのかを知りたい」。それとともに、次のような感想もいくつかあった。「平和は簡単にはつくれるものではないけれど、平和な世界をつくるための心を(一人一人が)持つことが、一番大切だと感じました」

 もう一〇年まえの貴重な体験がいまとてもなつかしく思い出されるのは、「3・11」から一〇周年を迎えたからだけでなく、それ以前の昨年一一月に矢倉さんが鬼籍に入られてしまったからである。

 矢倉さんとの最初の出会いは、文部省担当だったこの先輩記者の応援に、同じ社会部記者だった私が行かされたときである。どんな仕事をしたのかはまったく記憶にないが、ロクに役に立たなかったことだけは間違いない。その後、矢倉さんは教育記者として活躍し、私は外信部に移って国際ニュースを追うことになったが、付き合いは続いた。東京神楽坂の「みちくさ横丁」の行きつけの居酒屋、「小江戸」と称され旧い街並みが魅力的な川越市でふらりと立ち寄った一杯飲み屋で、美味しい酒を飲みながら談論風発した。

 アルピニストで毎年の年賀状には前年の山歩きの元気な写真が添えられていたが、昨年から持病が悪化してついに帰らぬ人となった。病院に見舞いに行きたくても、コロナ禍でそれもかなわなかった。

 「子ども大学」は川越に続いて鎌倉にも開学し、同市出身の解剖学者、養老孟司」東」・大名誉教授が学長を引き受けてくれたと嬉しそうに報告してくれた、矢倉さんの笑顔を忘れない。でも私が彼との思い出のなかで一番大切にしたいのは、やはり川越での講義であろう。

 故人の真新しい墓石には、「矢倉家の墓」ではなく、「平和」の二文字が刻まれている。なぜ一教育記者がそこまで平和にこだわったのか、平和とは何かについてもっと話し合いたかったが、その機会は失われてしまった。合掌。

(永井 浩)

 季刊同人誌『人生八聲』春季号(第26巻)は4月1日に発行されました。テーマと著者を紹介します。大半が毎日新聞OBです。お読みになりたい方は、高尾義彦まで、以下のメールアドレスでご連絡ください。送料込みで1部1,000円。yytakao@nifty.com

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