随筆集

2021年4月3日

国会福島原発事故調から見えたメディアも「規制の虜」? 事故調事務局経験から牧野義司さんが指摘

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 東京電力柏崎原子力発電所(原発)で2020年3月以降、不正侵入検知の設備10か所に故障があったことが判明し、原子力規制委員会はテロ対策の不備だと問題視、1年後の今年3月24日、東電に対し核燃料搬入を禁止するなどの是正措置を出した。ニュースで大きく報じられたので、ご存知の方が多いだろう。それにしても原発の危機管理という点で、東電は何ともお粗末だ。

 東電の原発危機管理がルーズ、という点で言えば、私にとって特別な思いがある。実は、私自身が2011年3月に起きた東電福島第1原発事故の真相究明調査を行う国会事故調査委員会の事務局に1年近くメディア向け情報発信の担当者としてかかわった。事故調査を通じて見えた東電という企業の現実は、かつて毎日新聞経済部記者時代に、東電を取材した時とは全く別の顔を持っており、巨大組織病の数々だった。

 福島第1原発の事故調査に関しては当時、国会事故調以外に政府事故調、当事者の東電事故調、それに民間事故調がそれぞれ独自の立場で原因究明調査にあたった。この4機関のうち、政府事故調と東電事故調は事実上の「内部調査」で、仮に国に重大責任が及んだ場合、しっかりとした責任追及にまで踏み込めない弱みを抱えていた。これに対し、国会事故調は、超党派の立場で立法府が行政府を監視チェックし事故原因の究明も行う前例のない形の調査機関であること、特定の権益、利害にいっさい与さない、とくに政府から独立した機関として法的権限も与えられ厳しく真相究明にあたったことーーなどの特性を持っていた。このため、日本のみならず世界中が関心を持つ原発事故の調査を客観的に行える唯一の機関と言っていいのでないか、と私はかかわった当時、思った。

 現に、国会事故調報告書は、事故原因について、人災がもたらした事故とはっきり断定した。直接的には地震、そして津波によるとはいえ、土木学会評価を上回る津波が到来した場合に海水ポンプが機能不全を起こし原発サイトの全電源喪失、炉心損傷に至るというリスクがあること、その対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局、東電経営陣が問題を先送り、楽観的な見通し判断によって安全対策投資をとらなかったことが響いた。人災と言わざるを得ない、というものだ。また、監視規制する側の官僚が人事異動で十分な現場経験、政策ノウハウの蓄積がないまま、専門特化する監視対象の東電側に政策の方向付けをされるなど、結果的に「規制の虜(とりこ)」現象が起きている、といった問題を厳しく指摘したのも国会事故調だった。

 なぜ、私がそんなポジションにいたのか不思議に思われるだろう。実は以前から取材で面識のあった国会事故調の黒川清委員長(以下、当時の肩書)から電話があり「キミは毎日新聞とロイター通信の内外2つのメディアでの取材経験があり、今はフリーランスジャーナリストの立場だ。この調査には日本のみならず世界中が関心を持っており、情報発信が重要だ。記者クラブ制度の狭い枠組みを離れて大胆にやりたい。協力してもらえるか」という依頼だった。私が「意気に感ずです。お引き受けします」と答えたのは言うまでもない。

 黒川委員長の指摘どおり、私は毎日新聞で経済部を中心に約20年間、過ごし、45歳の時に毎日新聞を退社してロイター通信に転職し約15年、60歳過ぎからはフリーランスの経済ジャーナリストに転じ、77歳の今もその仕事を続けている。一方でフリーランスでの仕事中に、メディアで培った人脈ネットワークや経済部記者経験、それに問題意識が評価されたのか、アジア開発銀行からメディア向け情報発信でアドバイスしてほしい、との要請があった。そこで、最近の言葉でいう「両利きの経営」でいくことにした。その後、アジア開銀以外に日本政策金融公庫などいくつかでメディアコンサルティングにかかわった。

 さて、ここからが本題だ。私は、世界中を震撼させた巨大事故なので、メディアが記者クラブ制度の枠組みを離れて各社ごとに原発事故取材特別専門チームをつくり、その一環で国会事故調などを取材ターゲットするのだろうな、と期待した。外国メディアも同じ対応だと考え、情報発信の仕方にも工夫が必要だ、と思った。

 原発にからむキーパーソンの参考人聴取をすべてオープンにすれば、記者クラブ制度とは無関係に、メディアの独自の総合判断でニュースにして内外に向けて情報発信していくだろう、と私は判断した。そして国会事故調は、原発政策にかかわった政治家や経済産業省、資源エネルギー庁幹部、原子力委員会OB、東電幹部などの参考人聴取をすべて公開、かつ同時通訳を入れて即時に内外に情報発信できるような環境づくりで臨んだ。

 ところが、国会事故調問題の取材に関しては、各社とも旧態依然の横並びで、政治部の国会担当がカバーすることになった。それも原発事故をめぐる専門的な知識、問題意識の希薄な政治部の若い記者ばかり。取材を受けても、「何かありませんか」のご用聞き取材の域を出ず、問題の本質が何かをしっかりとおさえて書けるのかなと不安になるほどだった。

 黒川委員長もこのメディアの取材姿勢にいら立ちを隠せず、公開の参考人聴取後の記者会見でメディアへの不満を口にした。「参考人の考えに対する私の意見を聞くよりも、メディアが参考人聴取で明らかになった日本の構造問題を浮き彫りにし、独自取材で、その構造問題をさらに明らかにすればいい。その結果、検察が動くことになるかもしれない。それこそがメディアの役割でないのか」と。

 その黒川委員長は私に対しても不満をぶつけた。「規制の虜の問題は、メディアにも当てはまるな。本来ならばメディアは権力に対する監視機構なのに、その気概が感じられない。記者クラブは役所の広報機関、そこに属する記者、ジャーナリストは政府を代弁する御用記者になってしまっているのでないか。今回の原発事故は、そういった目線で対応すべきだ。オレが間違っているか?」と。

 私も、同じ思いだった。政府事故調が非公開・秘密主義なのに比べ、参考人聴取をオープンにする国会事故調はメディアにとって格好の取材チャンスなのに活かしきっていない。私の不満が募り現場記者にとどまらずKOL(KEY OPINION LEADER)の編集委員・論説委員クラスにも働きかけたが、なぜか反応は鈍く、正直、がっかりだった。私がさらにメディアの現場に不満だったのは、フォローアップ取材力の弱さだった。国会事故調報告をもとに検証という形で取材・報道が出来たうえに、世界各国から「真相を聞きたい」という声に対応して黒川委員長が講演行脚などを行った際、同行して世界各国の原発事故への受け止め方を報道すればいいのにと思った。しかし、これらの点に関して、どのメディアも希薄だったのはさらに残念だった。

 国会の対応もお粗末だった。国会事故調の報告書が衆参両院議長に提出された後、「立法府が行政府を監視する」と豪語?していた国会は、衆参両院に本来ならば超党派の特別委員会を立ち上げて、今後の再発防止策にとどまらず国の原発政策、エネルギー政策をどうするかを徹底議論するべきなのに、いっさいアクションを起さず、形だけの特別委員会を組織したのはずっと後だった。当初の驚きは、行政府に対して丸投げしてしまったことだ。

 国会事故調は事故調査報告に付随した提言で、1)規制当局への国会の監視、2)政府の危機管理体制の見直し、3)電気事業者の監視などに加え、国会に新たに独立の調査委員会の設置、端的には原子力事業者や行政から独立した民間中心の専門家からなる第3者機関として原子力臨時調査員会を設置すべきだ、と主張した。

 にもかかわらず、国会は、調査報告書を受け取った瞬間に、すべてが終わったような処理対応で、これら提言に対してアクションを起さなかった。それどころか、すでに申し上げたように、行政府への報告書対応の丸投げだったため、政府側は政府事故調の報告書、それに国会事故調の報告書の2つを抱え込み、対応に苦慮する始末だった。メディアがこれらの国会の対応を厳しく批判キャンペーンもしなかったのも驚きだった。

 原発事故から10年がたった今、原発問題にはまだまだ課題山積なのに、国会もメディアもまだまだ踏み込めていないのは、私の苛立ちだ。

(牧野 義司)