随筆集

2021年5月24日

1964年東京五輪を取材した磯貝喜兵衛さん(92)の連載一部〝復刻版〟『日本のスポーツ 発展の歴史』―フェイスブックから転載

 アジアで初の東京オリンピックが開かれた昭和39(1964)年。開会直前の毎日新聞夕刊で、12回連載の『日本のスポーツ・・・発展の歴史』を当時、オリンピック報道本部にいた私が一人で書きました。引っ越し荷物の中から見つけたその切り抜きから、④回目の「古代からの人気種目・相撲」(昭和39年5月1日夕刊)を、よろしければご覧ください。

日本のスポーツ  発展の歴史④  古代からの人気種目・相撲

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開会式当日、代々木の選手村で

〇・・・無類の相撲好きだった作家の尾崎士郎は、随筆「相撲を見る目」でこう述べている。

 「相撲に親しむ気持は東洋人にとって先天的なものなのであろうか。幼童の遊びを見ていると、すぐ相撲がはじまる。だれが教えたわけでもない。四つに組んで投げ打つというのは、必ずしも勝負の観念に立脚した技法ではなくて、自然の動作のようにも思われる。」

 相撲が古代から日本人の間でごく自然に発生し、親しまれたことは古事記や日本書紀の伝説が裏書し、埴輪や須恵器に残された相撲人形をみても明らかである。建御雷命(タケミカズチノミコト)と建御名方神(タケミナカタノカミ)とが出雲で力くらべをし、国ゆずりの決着をつけた話や、野見宿禰(ノミノスクネ)と当麻蹴速(タイマノケハヤ)の相撲伝説は、日本人の相撲好きをよく物語っている。

〇・・・相撲の語源は「すまひ」(素舞・相舞)からきている。折口信夫の「日本芸能史ノート」によると、「相撲は神と精霊との争いを表象した演劇的な要素が強かったが、力くらべがみんなの興味を集めたことからスポーツ的な面に拡大されていった。」という。国と国との領分を決めたり、農村と農村とが互いの豊凶を占うのに相撲が盛んに用いられた。奈良時代聖武天皇の天平六年(734年)から平安時代、高倉天皇の承安四年(1174年)まで毎年宮廷で行われた相撲節会(せちえ)は一種の「年占い」だった。全国から力自慢の相撲人を集め、国を二つに分けて団体戦をやらせ、これを天皇や貴族が鑑賞した。このころは土俵がなく、投げたり、引き倒したりして、手や膝が土につくと負けになった。

〇・・・貴族階級の節会相撲に対して、地方の民間でうけつがれてきた野相撲、宮相撲は鎌倉時代に入ると武士のスポーツとしてクローズアップされてくる。体力をきたえ、戦場で敵と一騎打ちに勝つためにも相撲は大いに役立つとあって、武士の間で流行した。源頼朝は陣中で武将たちによく相撲を取らせて楽しんだ。伊豆で相模と伊豆の武士たちが余興に相撲を取ったとき、俣野五郎が21人を勝ち抜いた。これに挑戦した河津三郎が俣野の連勝を破ったが、物言いがついて喧嘩沙汰まで起きる騒ぎ。これがもとで河津は俣野方の工藤祐経の家来に遠矢で殺され、曽我兄弟の仇討ち物語がはじまる。この事件で当時の武士たちが、相撲にどれほどエキサイトしたかを知ることができる。

〇・・・織田信長も相撲が好きで、天下を取って近江の安土城に落ち着くと、全国から千五百人の相撲人を集めて相撲の会を催した。土俵が出来たのも戦国時代の末期である。相撲を取り組む力士のまわりには、見物人が自然に輪をつくる。「人方屋(ひとがたや)」と呼ばれる円型が土俵を生んだわけで、土俵が設定されることによって、相撲は単なる力くらべから、技巧の競技になり、スポーツとしてのルールも整ってきた。

〇・・・有力な領主や富豪がなかば職業的な力士をかかえるようになると同時に、神社仏閣の建立や修理をする資金作りの名目で「勧進相撲」があちこちで催された。江戸時代になると、職業力士の勧進相撲はますます盛んになり、興行化してくる。元禄年間は京都、大阪が中心で、大関・両国梶之助などが活躍。つづいて江戸相撲が繁栄し、横綱・谷風、小野川を中心にした寛政の黄金時代を迎える。

〇・・・明治維新は相撲の世界にも革命をもたらした。大名に抱えられていた力士たちは封建制度の崩壊でよりどころを失ったが、文明開化が進むにつれて近代化され、明治5年、それまで女性の見物が許されなかったのが、11月場所から2日目以降は女性も見物してよいことになり、明治10年からは初日を含んでまったく自由となった。明治、大正時代は華族、実業家、軍人などの支援を得、昭和に入ると大衆の人気を集めて大相撲が安定した時代を迎える。

〇・・・一方では高校相撲、大学相撲がアマチュア・スポーツの伝統を守り、地方によっては神事相撲の歴史を偲ばせる村相撲や少年相撲も盛んだ。たとえば長野県小諸の八幡神社で八朔(はっさく)相撲の少年力士が町内を練り歩く行事など、相撲が庶民の間で古くから愛されてきたなごりを見せている。

〇・・・日本のスポーツのなかで、相撲だけは古代から現代まで一貫した人気をもち続けてきた。東京教育大の和歌森太郎教授はその理由をこう語る。

 『日本人の民族性は淡泊というか、単純というか、非常にさっぱりしている。相撲の勝負も土俵という限られた空間のなかで短時間に終わってしまう。しかし、単純ななかに集中力をもりあげ、ものすごく充実した力と力、技と技がぶつかり合う。見物する方でも、そこに相撲の醍醐味を感じるのだ。同じ格闘技でも、たとえばボクシングのように、何回も殴り合いを続けるのと違って、しごくあっさりしている。日本人の気性にピッタリ合ったスポーツである点が、相撲という日本独特の競技を生み、育てたのだと思う。』

〇・・・雲をつくような大男を、小柄の力士が投げ飛ばすというのも、相撲独特のおもしろさだ。日本人の器用さが高度に発揮されるスポーツ・・柔道、レスリング、体操といった種目がオリンピックで有望なのも、相撲の歴史と考え合わせると興味深い。

磯貝喜兵衛さんのフェイスブック
https://www.facebook.com/kihei.isogai