随筆集

2021年7月2日

レイルウェイ・ライター、種村直樹君を偲ぶーー牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」から

柳 路夫

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 それは種村直樹君に呼び止められた感じであった。行きつけの古本屋の前を通ったら種村直樹著『時刻表の旅』(中公新書・定価380円)が眼にとまった。どれも100円の値段のついた新書版の本を並べている場所である。早速買った。種村君とは昭和38年8月、毎日新聞大阪社会部で知り合った。彼は府警察本部の記者クラブにいた。入社4年目の事件記者であった。

 東京社会部で筆頭デスクをしていた立川熊之助さんが大阪の社会部長になるというので私を大阪のデスクとして連れっていった。大阪にいたのは1年半であったが、実りの多い記者生活であった。大阪社会部の多くの人材を知った。後で大いに役立った。一緒にデスクになった檜垣常治君とは後にほぼ同時に役員となり、助けたり助けられたりであった。政治部にきた岩見隆夫君、サンデー毎日にきた徳岡孝夫君、八木亜夫君、武田忠治君らに知的刺激を受けた。

 種村君はもともと学生時代から汽車旅が好きで、それが鉄道記者生活を通じて助長され、「レイルウェイ・ライター」にまでになってしまった。昭和48年、毎日新聞をやめるのは当然の帰結であった。この本にも昭和48年4月武蔵野線府中本町―新松戸間開業の日以来、フリーのレイルウェイ・ライターとして、趣味と仕事の境界が判然としない日々を過ごすことになると書いている。当時私は論説委員であった。種村君が毎日新聞を去ったのを後で聞いた。

 この本は昭和54年8月25日の初版である(私の手元にある古本は昭和55年11月20日6版)。既に著書は『周遊券の旅』(ブルー・ガイドブックス)7冊も出版している。『時刻表』1本で生きた男といってよい。「数字と駅名が無数に並ぶページを捲ると、各地を走る列車の姿が目に浮かび、大きな駅のコンコースの雑踏、ひなびたローカル線を行く車両のきしみも伝わってくる」と表現する種村君である。まさに時刻表にとりつかれた男である。平成26年11月26日なくなった。享年78歳であった。

 子供の頃よく歌った歌『汽車』(作・不詳、曲。大和田愛羅)を口ずさんで彼を偲びたい。

 「今は山中 今は浜
 今は鉄橋渡るぞと
 思うまもなくトンネルの
 闇を通って広野原」

※種村直樹さんは1936年、大津市生まれ。京都大学法学部卒。毎日新聞記者を経て1973年からフリー。レイルウェイ・ライターとして鉄道と記者旅をテーマに著作を続けた。2014年、転移性肺がんにより死去、78歳。

(プロフィール写真、名刺は種村さんの公式ホームページから)

※「銀座一丁目新聞」のURLはhttp://ginnews.whoselab.com/