随筆集

2021年7月9日

報道レースは本社が「金」―68メキシコ五輪の社報

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 この写真は、64年東京五輪の閉会式。浴衣の日本人女性の手にキスをするソンブレロを被ったメキシコ男性。68メキシコ五輪への引継ぎのつもりか。

 日本外国特派員協会(千代田区 丸の内 3-2-3「丸の内二重橋ビル」5階)で8月6日まで開かれている1964東京五輪の写真展にあった。

 断捨離中に何故か、昭和43(1968)年11月1日付社報が出てきた。

 見出しに

  メキシコ五輪、報道レースは本社が「金」
  特派員←→各本社が一体化
  みごとカラー印刷
  原稿の流れもスムースに

 特派員団は、8人。キャップは、社会部デスク牧内節男(当時43歳)。メキシコ臨時支局の支局長である。

 社会部・大桶浩(当時37歳、1994年没63歳)

 運動部・岡野栄太郎(当時38歳、2020年没90歳)▽浮田裕之(当時39歳)▽奈良井輝(大阪、当時38歳、2010年没80歳)

 写真部・阿部三郎(当時42歳、2013年没87歳)▽松野尾章(当時35歳、2008年没76歳)

 連絡部・大川延司(当時36歳、2011年没79歳)

 元気なのは、ことし96歳を迎える牧内さんと、浮田さん92歳だけか。

 牧内支局長の現地報告が載っている。

 《社員のみなさん「ポエナスタルデス」(こんにちは)——私たちの朝のあいさつは「ポエノスデイアス、コモエスタウステ(おはよう、ごきげんいかがですか)「ムイビエン・ウステ」(大変よい、あなたは?)「ムイビエン」と始まる。時差(15時間)の関係から毎晩寝るのが午前2時すぎだから「コモエスタウステ」という言葉にも実感がこもる。

 大阪外語スペイン語科を出た奈良井特派員は別として、他は日本を出るまでスペイン語は少しも知らなかったが、阿部特派員などは写真部との電話応答の中で無意識のうちに「シー・セニョール」(はい、わかりました)という言葉が飛び出るから大したものだ》

 「こんにちは」は、ブエナスタルデスと旅行書にはあるが、現地の発音は「ポエナス」なのであろう。

 「競技が終えて、余ったドルを全員に分けて、好きなところを旅行して帰国するよう、言ったんだ。名支局長だろう」と何かの折に聞いたことがある。

 毎日新聞のHPには、《第19回メキシコ大会は、112カ国と地域から約5500人の選手が参加し、1968(昭和43)年10月12日から27日まで開かれた。日本からは183人の選手が参加し、金11、銀7、銅7、計25個のメダルを獲得した。日本では大会期間中に川端康成さんのノーベル文学賞受賞が発表され、12月には東京都府中市で「3億円事件」が発生した》とあり、その脇に釜本邦茂がサッカー3位決定戦でゴールを決める写真。阿部三郎撮影とある。

(堤  哲)