随筆集

2021年7月19日

三原浩良さんに原稿を真っ赤にされたノンフィクション作家

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写真は、2017年4月12日に東京で開かれた「偲ぶ会」に合わせて作られた追悼集「生きて果てなん」の表紙から(奥武則さん提供)

 西部本社で報道部長をつとめ、退職後、葦書房社長、弦書房代表として良書を出版し続けた三原浩良さん(61年入社、2017年没79歳)の名前を18日付け読売新聞の読書欄で見つけた。

 ノンフィクション作家澤宮優さんが『巨人軍最強の捕手』(2003年晶文社刊、現在は『戦火に散った巨人軍最強の捕手』河出文庫)を出版するときのことだ。

 巨人軍最強の捕手とは、ビルマで戦死した吉原正喜捕手である。熊本工業では川上哲治(巨人軍監督)とバッテリーを組み、甲子園で準優勝した。のちに打撃の神様と呼ばれる川上は、吉原捕手を獲得するために、ついでに入団契約になったといわれる。

 澤宮さんは、川上さんからも取材をして、半年かけて原稿を書き上げたが、原稿を送った20社から出版を断られた。知人の紹介で葦書房にたどり着く。

 《葦書房の三原浩良社長は、すぐに原稿を読んでくださり、出版を決めてくださった。ただし何度も推敲をさせられ、目が回るほど赤字が入った。だが、そのお蔭で作品は、柔らかく練れた内容に変わった》

 《その年の秋のある日、突然段ボール箱が葦書房から送られてきた。そこには私の原稿があった。手紙には「ある事情で出版ができなくなった」という報告が書かれてあった。後日新聞記事で知ったのは、ある一件で社長、社員が退職せざるをえなくなったトラブルがあったことだった》

 「葦書房 オーナーが社長解任 全従業員も退社の異常事態」と読売新聞は報じた。

 三原さんは、1994(平成6)年に葦書房の社長になった。前社長の死去に伴うもので、8年間、黒字経営したが、2002(平成14)年にオーナーに解任される。

 「株(出資金)の買い取り価格や、私の後継社長をめぐってどうしても折りあうことができず、ついに私の解任となったのである」と三原さん。

 社員も8人全員が退社し、2002年暮れ、弦書房が船出した。

 三原さんは、こう書き残している。

 《翌年5月から新生弦書房のあたらしい本が次々に書店に並んだ。高木尚雄『地底の声』、島尾ミホ・石牟礼道子対談集『ヤポネシアの海辺から』、菊畑茂久馬『絵かきが語る近代美術』、渡辺京二対談集『近代をどう超えるか』、中山喜一朗『仙厓の○△□』、多田茂治『夢野久作読本』『玉葱の画家』などなど、いずれも旧知の著者たちの力作ぞろいである。数えてみるとこの年は5月からの半年の間に7点も刊行している。

 その後も2004年10点、2005年9点、2006年17点、2007年16点、2008年11点と新刊を送りだしてきた。

 なかでも野見山暁治『パリ・キュリイ病院』、佐木隆三『改訂新版 復讐するは我にあり』はいずれも大手出版社が重版をしぶって絶版になっていた本の復刊で、小出版社ならではの仕事として印象に残っている。

 前者は最初に講談社、のちに筑摩書房が刊行した野見山さんの最初の著書で、野見山ファンからの復刊の要望が強いことを知り、25年ぶりに復刊した。今年になって重版したと聞いてうれしかった。既刊書が売れなくなっている出版不況のなかで、息ながく売っていくことは至難のことと言ってよい。

 後者は佐木さんの直木賞受賞作だが、これも絶版になって久しく、著者の希望であらたに手を入れて「改訂新版」として刊行、版を重ねたあといまでは講談社文庫にもはいっている。

 渡辺京二『江戸という幻景』は、葦書房時代に刊行した不朽の名著『逝きし世の面影』(いまは平凡社ライブラリー)の姉妹編とも言える著作で、向こうが来日外国人の目を通して描かれた江戸・明治の姿だとすれば、こちらは日本人の目がとらえた江戸の人々の生きいきとした諸相を活写した書きおろしで、刊行当初から増刷をつづけている。

 こうして歩みだした弦書房は創業10年を過ぎ、著者や関係者の協力をえて順調な歩みをつづけているが、2008年、後事を小野君に託して弦書房を去ることにした。

 当初から「70歳引退」と心づもりだったが、予定を一年過ぎていた。「葦書房の灯を消すな」という声に応えることができたのであろうか》

 そして2008年郷里の松江に戻った。

 出版不況といわれた時のアンケートに「私が葦書房を引き受けた時考えたことは、絶対に大きくしないということだった。どうしても必要とする人に向けて、少々高くても我慢して買ってやろうと言われるような内容を備えた本を作るしかない、と思っている」と答えている。

 良書がすべて、なのである。

 葦書房時代、石牟礼道子編著『天の病む 実録水俣病闘争』(1974年1月刊)を出版した。執筆者に、石牟礼道子・渡辺京二・江郷下一美、三原浩良、日高六郎・杉本栄子・浜本二徳・川本輝夫・田上義春・松浦豊敏・本田啓吉、富樫貞夫、宮沢信雄ほかとある。

 元ソウル支局長・論説委員の下川正晴さんは、この毎友会HP(2020年7月7日)で自著『占領と引揚げの肖像BEPPU』を紹介しているが、『忘却の引揚史―泉靖一と二日市保養所』(2017年刊)、『日本統治下の朝鮮シネマ群像~戦争と近代の同時代史』(2019年刊)といずれも「弦書房」からである。

 三原さん自身の著作は『熊本の教育』『地方記者』『噴火と闘った島原鉄道』『古志原から松江へ』。編著に『古志原郷土史談』『当世食物考』などがある。

 私は一緒に仕事をしたことはなかったが、同期入社の片山健一(故人)の前の西部本社報道部長だった。

(堤  哲)