随筆集

2021年8月16日

58年前、有楽町時代の社会部出番表があった‼

 社会部旧友・倉嶋康さん(88歳)はFacebookで、記者生活の自伝を連載している。そこに社会部の黒板の写真が載っていた。

 58年前の1963(昭和38)年5月23日(木)と24日(金)の内勤出番表である。むろん有楽町駅前に毎日新聞東京本社があった時代である。

 倉嶋さんは宿直勤務になっている。2方面(大崎警察署)のサツ回りだった。懐かしい名前ばかりなので、フルネームで再現してみる。

画像

 まず黒板の左側から。

1963(昭和38)年5月23日(木)
デスク:夕刊=末安輝雄、朝刊=柳本見一
夜勤:藤原康彦、大澤栄作、植竹英樹
宿直:倉嶋康、大桶浩、太田稀喜
遊軍:浅野弘次、吉野正弘、吉沢敏夫、田中浩、中野謙二、丹羽郁夫、岩崎繁夫、小峰澄夫、吉岡忠雄
宿明:木下剛、中村均、近藤健
公休:浦野勝三、石谷竜生、浜田禎三

 次に右側。

5月24日(金)
デスク:夕刊=村山武次、朝刊=末安輝雄
夜勤:坂野将受、田中浩、山本祐司
宿直:吉沢敏夫、前田行男、堀井淳夫
遊軍:吉野正弘、浦野勝三、田中久生、小峰澄夫、吉岡忠雄、石谷竜生、浜田禎三、丹羽郁夫、飯泉栄次郎
宿明:倉嶋康、大桶浩、太田稀喜
公休:浅野弘次、中野謙二
備考:塚田暢利、原田三朗、堀込藤一=組合出張20~24日

 1日経つと、今度は左側に25日(土)の出番表が書き込まれる。

 私(堤)はこの年の秋に入社試験を受け、翌64年4月に入社した。初任地は長野支局だった。黒板にあるデスクの末安輝雄さん(49年入社。山内大介、渡辺襄の元社長2人、安倍晋太郎と同期)は、翌65年2月の異動で長野支局長としてやってきた。末安さんが横浜支局長になって、後任の長野支局長が村山武次さん(48年入社)、さらに一代置いて坂野将受さん(53年入社)、その後倉嶋さんも務めた。倉嶋さんは98長野冬季五輪を控え、スポニチの初代長野支局長に転進した。父親は長野市長2期、革新市長だった。

 社会部長はパリ特派員だった角田明さん。筆頭デスク立川熊之助さん。デスクは非番の佐々木武惟さんと出番表にある3人を含め計5人。

 警視庁キャップは藤野好太朗さん。実家の浅草寺仲見世・煎餅かわち屋は今も営業している。前任警視庁キャップの牧内節男さん(8月31日に96歳の誕生日を迎える。多分社会部旧友会最長老)は遊軍長だった。「大阪社会部から東西交流で来ていた立川筆頭デスクは、この年の8月に大阪本社社会部長になった。その時、白木東洋(55年入社)と2人が大阪に連れて行かれた。私は大阪社会部のデスクとなった」といっていた。

 最若手は、61年入社の山本祐司さん。当時の社会部の名簿の右隣に60年入社松尾康二さん(84歳)。エビセンと呼ばれていたが、後にカルビー会長を務めた。

 62年入社の瀬下恵介さんが八王子支局、冨田淳一郎さん(82歳)が武蔵野支局に名前がある。

 ちなみに編集局長斎藤栄一、編集局次長滝本久雄、田中菊次郎、政治部長小林幸三郎、経済部長福井信吉、学芸部長村松喬、科学部長福湯豊、運動部長仁藤正俊、地方部長若月五郎、地方取材部長土師二三生、外信部長大森実、写真部長日沢四郎、論説委員長橘善守、副委員長藤田信勝、林三郎、山本正雄の各氏だった。

(堤  哲)