随筆集

2021年9月15日

「サンデー毎日」に、東条英機の頭を叩いた大川周明の合掌写真

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 今週発売の「サンデー毎日」9月26日号で「東京裁判」の写真が目についた。

 法廷で合掌する大川周明、その前に東条英機——。この写真は、東京裁判担当の毎日新聞写真部・日沢四郎さん(当時38歳、のち写真部長)の撮影である。

 ——昭和21年5月3日のことである。福湯(豊)や高松(棟一郎)が休廷時間に、ゲラゲラ笑いながらクラブに戻って来た。ずっとクラブにいた私(狩野近雄)を見るなり、

 「大川周明が東条の禿頭を叩きやがった」という。

 私は、開廷のベルがなると記者席に入ってみた。審理を再開するとすぐ、大川はまた東条の頭をたたいた。被告席は二段になっていて、東条は前列、そのすぐうしろの後列に大川はすわっているのである。手をちょっと上げて、ペタンと平手で、東条のハゲをたたいたのだ。そのときの東条が、うしろをふりむいて、そのふりむいた顔がよかった。微笑をたたえて、

 “なんだいこのイタズラ小僧が”

 といった顔なのである。人のいい東条の一面が見えた。

 シーンとした法廷のなかに、ペチャッと響く音が奇妙なおかしさだった。

 ——法廷内珍事、大川周明が東条英機の頭をペチャンとたたいたときは、二度とも各社は撮影できなかった。しかし、ヒイさん(日沢カメラマン)は、東条の頭を叩いたあと合掌する大川をとっている。

 ——ヒイさんは数多くの特ダネ写真をとった。法廷という限られた場所、固定した写真班の位置、そういう条件のもとで各社をだしぬくことは容易ではない。ヒイさんは三脚の上にカメラを

 3台とりつけてシャッターを切ると同時に3方向の写真がとれる新発明をしたりした。

 以上は、東京裁判の取材班キャップ狩野近雄(のち東京本社編集局長、スポニチ社長)著『記者とその世界』からである。 

 翌日の新聞各紙に「東条のハゲ頭をポカリ」という見出しが躍ったが写真はなかった。

 毎日新聞に載った大川が合掌する写真を見て、MPたちから「これは君が撮ったのか。是非一枚焼き付けてくれ」と頼まれた、と日沢は自著『戦犯を追って三ヵ年』(1949年刊)に書いている。

 法廷取材は、記者は7人登録できたが、カメラマンは1人だけ。日沢がA級戦犯の処刑まで3年間取材を続けたのである。ちなみにペンは高松棟一郎、福湯豊、川野啓介、鈴木二郎、新名丈夫、杉浦克己で「多士済々、当時の新聞のベストメンバー」(狩野キャップ)。

 「東京裁判」は狩野が命名者である。正式名「極東国際軍事裁判」では長過ぎるので、ニュールンベルグ裁判がその地名をとったのにならったという。

 私(堤)が入社した1964年、狩野が東京本社編集局長、日沢は写真部長だった(文中敬称略)。

(堤  哲)