随筆集

2021年9月16日

「ペンの森」一期生が、瀬下恵介さんのお酒と議論を偲んで

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石原聖さん

 瀬下先生と初めてお会いしたのは1995年の秋。先生がマスコミを目指す学生向けの作文教室「ペンの森」を創設した年のことでした。

 大学4年だった私は、いつもなら素通りする学生課の掲示板で、偶然、「ペンの森」を紹介する貼り紙を見かけました。もう毎日新聞社から内定をもらっていたので作文を習いに行く必要はないといえばなかったのですが、携帯もインターネットも普及していない時代だったので、新聞記者と会ったり話したりという機会がほとんどありませんでした。だから「これから自分が入る会社の先輩から直接話が聞ける!」と、貼り紙を拝見し、その足でアポも取らずに神保町の教室に行ってみました。

 「ふつうは就職試験の前に来るもんだけどね。面白い人だねえ」と先生には笑われましたが、作文を書き、その後は世相をつまみに、あーでもない、こーでもないと議論する酒盛り付きの授業はとても楽しく、毎週通いました。

 鳥越俊太郎さん、亡くなった久和ひとみさんらマスコミの現役OBがしょっちゅうふらりと立ち寄り、一緒に酒を飲みながら取材の裏話をしてくれたり、問わず語りの武勇伝を聞かされたりすることもしばしばでした(裏話のやり方をまねしてみましたが、うまくいった試しはほとんどなかったですが)。

 ある時、大の大人が酔っ払って、意見の違いの末に「お前な!」などと本気でけんかし出したので、「止めなくていいんですか?」と尋ねたのですが、先生は「いいよー。元気があっていいじゃない。毎日に行ったらこんな奴らばかりだぞ」。笑って放置していたのは、先生がそういう毎日新聞の社風を好きだったからなのは間違いなく、同時に、これから記者になる学生に、(けんかはともかく)真剣に議論することを大事にして欲しいと言いたかったのでしょう。実際、「15版」で似たような光景を幾度となく見かけましたが、「まあそういうもんだな」とのんびり構えていられたのは、ひとえに先生の下で耐性がついたお陰です。

 結局、作文でほめられたことは数えるほどしかなく、先生が「毎日新聞ロッキード取材全行動」をまとめたことも社会部に上がるまで知らず……と、ただ一緒に飲んでいただけで卒業したような気もするのですが、働き出してからは、記者人生の分かれ道のような節目になると、自然と「ペンの森」に足が向き、先生に相談していました。

 手痛い抜かれをした警察担当の時は、「命まで取られないから」。外信部に異動する時は「先のことなんか誰にも分からないんだから、好きなようにやったら良いんだよ」。そう声をかけてくれ、背中を押してもらいました。先生は「新聞記者は楽しいよ。生まれ変わっても、もう一度やりたい」とよく言っていたので、あちらでもペンを握って楽しくやっているのかもしれませんが、もう相談できないんだなと思うと、寂しくてなりません。

 たまたま貼り紙を見かけて「ペンの森」の1期生になってから四半世紀が過ぎ、先生の教え子は現在、マスコミに500人くらいいるそうです。毎日新聞にも毎年1~2人は入っており、「入社できました。○○支局に配属になりました」という連絡をもらうこともあります。コロナで、酒盛り付きというわけにはいきませんが、仕事の合間にはペンの森へ行き、記者志望の学生の作文を見たりして、先生のお手伝いを続けようと思います。

(1996年入社、カスタマーリレーション本部宣伝企画・プロモーショングループ長、石原聖)

※瀬下恵介さんは2021年8月9日逝去、82歳。社会部遊軍長、サンデー毎日編集次長など歴任。リタイア後、「ペンの森」を創設、2018年の引退まで多くの学生をマスコミに送り込んだ。現在は、朝日新聞出身の岩田一平さんが引き継いでいる。