随筆集

2021年10月18日

思い出すままに――森桂さんの「つれづれ抄」⑩連載「東京二十四時間」 下

 「求める心」は何処へ
    本はなし、先生も教え方に戸惑う
       親は募る生活苦の悩み

(森桂さんの父、元社会部長、森正蔵さん企画の昭和20年の記事から)

 灰塵の本所、深川の一帯―赤茶っぽく焼けたトタンの残骸の間に、煙突だけがようやく昔の名残を止めている。記者がこの地を訪れた時は、うす寒い冬空がどんよりと曇って、灰色の雨が敗戦者のバラックの上に、街路に淋しげに降り注いでいた。その中を傘もない、合羽も持たない可憐な子供たちが、ちびた下駄をぬかるみに、びちつかせながら三々五々打ち連れて緑国民学校の門をくぐる。どの顔を見ても明るく敗戦国の国民の暗さがない。

☆ ★ ☆

 緑国民学校は、最も犠牲者が多かったといわれる本所区内で、焼け残った唯二つの国民学校の一つである。現在この学校には緑、江東、日進、二葉、本所、茅場、本所高専の七校が一緒になっているほか、関東配電、両国貸家組合、城東女子商業などが同居している。三月九日の大空襲で本所区は被害の中心であったため、開校は五月十三日、震災記念堂近くの慈光院で寺子屋式の学校を開いたが、その時参加した児童は僅かに八名であった。それが七月九日に、とも角焼け残った緑国民学校に移り、学校らしい学校教育が空襲下であったが始まった。その時の在籍数はたった十九名。焼けた他校の生徒も一緒で十月末には緑二十九名、江東四十三名、茅場三名、本所二名、二葉十七名、日進一名、本所高専など二十七名で計九十五名だった。

 その後、疎開児童の復帰もあって、現在は百七十八名になったので一二三、四五六という複式教室も十一月十五日から改めて、一学園一学級を組織した。戦前本所、深川では国民学校が二十校あり、緑国民学校だけでも今年の三月の卒業生の数は二千五十二名。それに比べて七校併せて百七十八名とは、何という淋しさだろう。

☆ ★ ☆

 ちょうど一年生の教室では綴り方の時間で、先生は軍国主義の標本のように言われている桃太郎を教えている。生徒は声を張り上げて「オニハ門ノ戸ヲオサエテイマス」と読んでいる。黒板にはここで新しく習う漢字の門、中、刀と書いているが、一年生のなかには十月になってやっと入学した生徒もいて、カタカナさえ満足に知らない者もある始末。先生にどういう気持ちでこの桃太郎の話を扱っているかと聞くと「まあ、おとぎ話のような気持ちで教えている」と言う。刀というものさえ、民間ではこれから見られなくなろうというのに――。話は桃太郎ばかりではない。修身、国語、地理、歴史など本当に教えにくいと言う。もっと突っ込んで言うならば、民主主義教育というものを、この幼い子に対してどういう風に施して行くか、先生自身も自信がないと言っている。

☆ ★ ☆

 五、六年で教える算数に、三角定規や分度器がある。これも持たない児童が多い。そのため宿題を出すことが出来ない。三角定規や分度器ばかりではない。教科書すら手に入らぬ児童がいる。教科書も前期用はとも角として、後期用のものは何処にも売っていない。兄姉でもいて教科書が焼けない限り、手に入らぬという現状である。それなのに児童の求知心は強い。みな長い間、空襲などでろくに学校で勉強できなかったからだ。今は勉強が出来る、唱歌も歌える、体操も出来る喜びに輝いている。ちょうど海綿のように子供の心は吸収する知識を求めて一ぱいなのだ。だのにここにも与えるべき先生に、家庭の父母に、何の準備もないという悲しむべき実情がある。

☆ ★ ☆

 遊びの時間。児童たちは電線などの散らかった校庭で、相撲取りの名前を書いた紙切れでメンコ遊びをやっている。ここは相撲取りや行司の子供も多い所から、国技館の始まる前後は相撲遊びが大流行、本式に取っ組み合う子供相撲の光景も賑やかであったが、いまはこれが紙切れのやり取りに変わっている。

 ここにも食糧の影響が見え五、六年生でも大半は家庭に食べに帰るという。その家庭が両親とも失業苦と食糧難に追われて、普通なら今ごろは入学試験の問題と、進むべき上級学校の問題で両親は頭を悩ます時期なのに、子供も親も五里霧中なのだ。終戦以来、新聞やラジオや人々の口から漏れる数々の言葉の片鱗から、「子供は陸軍大将になろうという夢からは全く覚めてしまった。どういう人間を民主主義国家では必要とするかは、誰も子供に教えてくれない」。遊び道具も勉強道具も本もない子、そして知識欲に燃えている子、平和新日本を背負うべき子、その子供が五里霧中のまま、家庭においても放り出されたままでいる。

 夕暮れ近くになれば、子供はおなかをすかして食事を待ちかねる。――そして子供同士空腹を抱えてこんな会話を取り交わしている。

 「明後日は買い出しに行くんだね」「ああ、休みはいつも買い出しだよ。お芋のね」「うん、うちも行くさ」「買い出しはいいね」「うん、その時はお腹一ぱいに食べさせてくれるもの」 夜ともなれば少い夜具を引っ張り合って子どもは寝につく。母親は子供の寝顔を見て、子供の将来というより迫り来る冬の寒さに備える衣類や寝具をどうするという悩みが尽きない。子供たちは、果たして何を夢見るだろうか。(十一月二十日付二面)

(「つれづれ抄」おわり)