随筆集

2021年11月15日

平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その17 サトイモの花(前編)(抜粋)

文・写真 平嶋彰彦 毎月14日更新

全文は http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53454523.html

 8月最後の日曜日、畑で刈り取った木の枝や雑草を燃やしていると、草取りをしていた妻が、サトイモの花が咲いているという。また何かの勘違いだろうと思ったが、そうではなかった。行ってみると、紛れもなく、サトイモが花を咲かせていた。花の形はミズバショウによく似ているが、色は白ではなく、鮮やかな黄色である。

 サトイモの栽培を始めてかれこれ10年になる。花が咲くのは見たことも、聞いたこともなかった。うっかりしていて、気がつかなかった可能性もないわけでもない。

 狐につままれたような感じなので、とりあえず、写真に撮っておくことにした。自宅に買ったその日の夜、インターネットで調べると、いくつも報告事例が投稿されていた。サトイモの花が日本で見られるのは、たいへん珍しいことらしい。

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サトイモの花。仏炎苞に覆われた肉穂花。2021.08.29

 そこで手元の『広辞苑』でサトイモを引いてみると、こう書かれている。

 サトイモ科の多年草。原産は熱帯アジアで、世界の温帯・熱帯で広く栽培される。(中略)稀に夏、黄白色の長い仏焰苞(ぶつえんほう)をもつ、奇異な形の肉穂花序(にくすいかじょ)をつけることがある。雌雄同株。地下茎は多肉で塊茎、葉柄ともに食用とし、品種が多い。

 ふだん使っているもう一冊の『新潮国語辞典―現代語・古語―』をみても、サトイモの花はとりあげられている。国語辞典は私たち日本人の知識の在りようを示す指標の1つである。花が咲くのが珍しい現象であること自体は、かなり昔から知られていたのではないだろうか。「仏焔苞」の「苞」は、花(「肉穂花序」)のつけ根にでる葉で、花を保護するため、これを覆うのだという。「仏焔」はよく分からないが、なんとなく仏像の光背が思い浮かぶ。「焔」は炎のことだから、無量光の慈悲を意味するかもしれない。

 サトイモは房総半島ならどこでも見られる畑の作物である。私が畑を引き継ぐようになって、それまで栽培していたセレベスから土垂(どだれ)という品種に換えた。というのも、サトイモはタネイモの周りにコイモがたくさんできるのだが、スーパーのものと比べ、どうしてこんなに粒が小さいのか、と妻がくりかえし不平を漏らすからである。

 ところが、品種を換えてみたものの、彼女を納得させることにならなかった。原因は別にあったのである。野菜作りの手引書を改めて読んでみると、サトイモは連作障害があるので、休耕期間を何年かおく必要があるらしい。マメ類の連作障害は知っていたが、なんということか、私の栽培する野菜の半数以上に連作障害があると書かれていた。

 わが国で歴史的に最も重要視されてきた栽培作物はイネである。イネは毎年々々同じ水田で栽培しても、連作障害は発生しない。しかし、畑の作物栽培にはその常識が通用しないというのである。そこで、手引書を参考にしながら、いわゆる輪作の栽培方法をとり入れることにした。畑を何カ所かに区分し、連作障害のある種類は、空白期間を3年とか4年とか設けて、周期的に作付けするようにしたのである。

 作物栽培の歴史は途方もなく古い。焼畑での耕作がその原初的な形態だろうと思われるが、畑作に連作障害のあることは、そのころから分かっていたのではないだろうか。福井県と岐阜県の境にある白山麓では、近代になっても焼畑による耕作がまだ続けられていた。宮本常一は1937(昭和12)年と1942年に現地を訪れ、聞き取り調査を行っているが、『越前石徹白民俗誌』のなかで、こんなふうに報告している。

 先ず前年の土曜に芝や草を刈って、10日ほどそのまま日にかわかして火入れをする。その翌春、もえさしの木など二か所にあつめて焼く。また前年刈っておいたカヤをその上にまいてやく。こうして一年目ヒエ、第二年アワ、第三年ヒエ、第四年目マメをつくってゆく。(中略)このようにして長く作る所で七、八年、早ければ三年もつくり、その後二十年なり三十年なり山にしておいて、再び焼畑にするのである。

 焼畑では肥料は使わない。何年か耕作を続ければ、土地はやせていく。そうなったら、耕作を放棄して、自然にもどす。30年もすれば、自然はもとの姿に復活する。

 見落とせないのは、焼畑での耕作期間中は1年毎に作物の種類を替えていることである。その理由の1つは連作障害を避けるためではなかっただろうか。宮本常一の報告のなかに、サトイモは見あたらないが、佐々木高明の『縄文文化と日本人—日本基層文化の形成と継承』には、焼畑の代表的な作物としてサトイモが取りあげられ、かつ連作障害の回避策としての輪作への言及がなされている。

 焼畑で伝統的に栽培されてきたおもな作物は、アワを筆頭にヒエ・ソバ・シコクビエなどの雑穀類、ダイズ・アズキなどの豆類のほか、サトイモ(タロイモの一種)やムギなどがあげられるが、これらの作物は伝統的な焼畑の輪作体系の中に組み入れられ、典型的な《雑穀・根菜型》の作物構成を有していた点に大きな特徴があった。

 サトイモは古くから日本の各地で栽培されてきたとされる。では、それがいつごろかとなると必ずしも明確になっていない。しかし、サトイモが焼畑の典型的な栽培作物の一つで、その輪作体系のなかに組み入れられていたというのであれば、渡来の時期はサツマモ やジャガイモよりも桁違いに古く、あるいは稲作以前までに遡るのかもしれない。

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収穫した夏野菜。2021.07.18