随筆集

2022年1月26日

社会部記者はすごい――『彼は早稲田で死んだ―大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読み、小畑和彦さんを偲ぶ

 私はこの本の筆者の5年先輩の67年入学の早稲田生でした。

 2~3年生の時、「早稲田新聞」というサークルで、この本にも登場するノンセクト集団「反戦連合」に参加しました。「反戦連合」は大学改革を求めて、学内を占拠し、大学執行部と渡り合いました。学内制圧を目論む文学部の革マル派が、「反戦連合」を敵対視し(我々も反革マルを標榜していましたが)、大学占拠から数か月たって、「反戦連合」を襲い、本部内に残っていた7人を拉致。数十時間に及んで殴るけるの暴行を加え、息も絶え絶えになった彼らを、あろうことか、埼玉県の山中に遺棄したのです。

 幸いにも、この7人は頑健な人物ばかりで、死者こそ出さなかったものの、彼らが健康体に復帰するまで数か月~半年を要しました。

 川口君事件に先立つ、同派の「内ゲバ・暴力体質」を如実に示した事件だったのです。

 小畑さんが川口事件からその後の学内の動きを取材していたことはこの本で初めて知りました。彼は、社会部の先輩で長く付き合ったのですが、この件は知りませんでした。しかし、この時の学内の動きを伝える彼の記事を読んで、本当に誇らしい気持ちになりました。「やはり、毎日新聞は、社会部記者はすごい!」と。

 私が毎日新聞を受験した理由の一つに、当時、学生運動についての社会面の記事の書き方にもありました。朝日新聞はいつも“上から目線”の記事ばかり、その点、毎日新聞は現場に目を据えて、体制側、学生側のどちらにも偏らない事実を書こうとしているように見えました。(実は、学生側の意気に感じた記者たちの手によるものだった、とは社会部に来てから、初めて知りましたが)

 何度読んでも許せないのは、本の最終に出てくる当時の文学部自治会の副委員長だった「大岩」なる人物です。今は巧みに名前を変えて「辻信一」と名乗り、大学教授にもなったといい、筆者の樋田毅さん(69歳)のインタビューに、当時のことについて「反省」の一言もありません。自分も中核派から暴力を受けたとして、多かれ少なかれ、当時はみんなそうだった、と話しています。

 事実は違います。当時の我々は「堅気さんには迷惑をかけない」、つまり、一般学生には手を出さない、という矜持はありました。それが無かったのが、革マル派です。「大岩」氏は、“反革マル”の一般学生を手始めに、手あたり次第の暴力をふるっていたのです。川口事件の責任を取って、表舞台から消えていき、その後の人生で、栄達を求めず故郷で逼塞し、亡くなった田中委員長を「彼は逃げた人間」と言い放つ、この神経。この落とし前は、彼自ら、死ぬ前にきっちりとつけてほしいものです。

 もう一点、誇らしかったのは、最終的に革マル派を学内から追い出した奥島孝康先生です。私は早稲田大学探検部OB会に所属しており、先生はかつては探検部の部長でいまはOB会の名誉会長です。革マル派の資金源になっていた早稲田祭の廃止にまで踏み切って、彼らを追い出したのですが、そこに至るまでの彼らの嫌がらせはすさまじいものがありました。学内で先生に付きまとい、色々と脅すのです。我々の学生時代から続いた、革マル派と大学当局との癒着は全てこの“脅し”の手法でした。総長選で彼らの力を借りた人物までいた、と噂されていました。

 先生も学内を歩くたびに“革マル派”に付きまとわれ、最後には、自宅に忍び込まれ、書類などを盗まれた、と言います。そうした、圧力に抗した、彼の精神、これまた“早稲田”らしいとも、思います。

 樋田さんは朝日新聞の記者だったそうですが、いわゆる“朝日らしくない”良い記者だったことと思います。本当に良い本を書かれた、と感謝します。

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《追記》

 革マル派に襲撃され、重傷を負った高橋公(ひろし)さん(通称ハムちゃん)=現認定NPO法人「ふるさと回帰支援センター」理事長=の著書の写真です。この本には革マル派からの襲撃を受けた当時の様子を詳細につづられています。彼はその中で「私は学生運動にはリンチや個人テロは必要ないと考えていた。20歳そこそこの学生が同世代の学生にリンチを加えるなど、思想的に耐えられないと思った。まだ親の脛を齧っているような学生が、一体どうやってその責任を取るというのか。もし、こうしたセクトや団体が政権を取ったら、一体どのような社会が作られるのだろうか。究極の恐怖政治が行われることになるに違いない」と綴っている。

(元社会部長・清水 光雄)