随筆集

2022年1月27日

企業人大学は千葉ニューパークホテルアネックスで始まった

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新城洋一さん(『ちば人国記』毎日新聞社刊)から)
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 1月27日付毎日新聞千葉版に掲載された訃報である。

 現在の毎日新聞千葉支局のひとつ前は、新城さんが経営する千葉ニューパークホテルのアネックス1階にあった。JR京葉線千葉みなと駅前だった。

 千葉ニューパークホテルは、1970(昭和45)年11月に開業した、千葉で最初のシティーホテルだった。新城さんは千葉の老舗旅館「篠原旅館」の跡取りで、明治大学を卒業して「これからはホテルの時代」と、千葉みなとの埋立地5千㎡を確保して、シティーホテルを建設した。36歳だった。

 ホテルは大繁盛。73年の千葉国体(若潮国体)では皇太子ご夫妻(現在の上皇、上皇后両陛下)がお泊りになられた。

 ホテルの隣接地は、毎日新聞社が新支局建設のために確保していた土地だった。新城さんは、その土地に目を付けた。

 瑠璃夫人が言う。「支局に菊池哲郎さん(のち主筆、2016年没68歳)がおられ、お話したら不動産の担当は元千葉支局長で総務の林道彦さん(2009年没84歳)。菊池さんの結婚式で仲人をされたということで、話はトントン拍子で進みました」

 毎日新聞千葉支局を1階、宴会場を2階にして、1976(昭和51)年8月アネックスがオープンした。建物の正式な名称は「新毎日会館」だった。

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 当時の桜井邦雄支局長(1988年没、59歳)=写真右・倉嶋康さんのFacebookから=が、2階で講演会ができないかと企画、「毎日新聞千葉企業人大学」は翌77(昭和52)年から始まった。

 昔からある千葉の企業と、京葉工業地帯に新たに進出してきた企業を結びつけようとしたのが、発想の原点だったようだ。桜井支局長は、市原通信部の両川邦男さん(2019年没91歳)と湾岸の進出企業をひとつずつ回って、会員になってもらったという。

 私(堤)は87年12月から90年3月まで千葉支局長をつとめたが、当時の手帳に会員企業は107社とある。89年9月が第150回の講演会で、講師は俳優の池部良と、作家の桐島洋子を招いている。それから30年余経っているから、企業人大学の講演会は500回を超えていると思う。

 そして幕張新都心の建設が始まり、新城さんはホテル「ザ・マンハッタン」をオープンする。1991(平成3)年7月だった。

 新城さん夫妻は世界中のホテルを見て回り、「旅先のわが家」をコンセプトにした。巨大ホテルの時代は終わった。だからチェックインのときも、椅子に座って手続きをする。客室へのエレベーターは、カギを持っていないと乗れない。全130室オールスイーツ……。

 1993年7月の東京サミットでは、期間中、このホテルでシェルパ会議が開かれた。サミットの宣言は各国首脳の側近たちによって起草されるが、シェルパとはヒマラヤ登山のガイド、つまり首脳たちをサミット(山頂)に導くという意味で名づけられているという。

 現在の天皇陛下も皇太子時代にお泊りになられている。

 しかし、ちょっと早かった。時代が追いついてこなかった。融資先の銀行から売却を迫られ、手放さざるを得なかった。

 今「ザ・マンハッタン」の公式HPを見ると、ラグジュアリーホテルをうたい、「アメリカの旧き良き大邸宅を彷彿させるエントランスとアールデコ調に統一されたインテリア。優雅なひとときのはじまりです」「ビバリーヒルズの邸宅の居室をイメージした客室は、淡い色合いで統一した上質の空間。大きな窓からは自然光をたくさん取り入れます。総大理石のバスルームでは、ゆったりと一日の疲れを癒してください」……。

 だから訃報の肩書は「ホテル ザ・マンハッタン創業者」なのである。

(堤  哲)