随筆集

2022年4月26日

森林再生の宮脇昭さんと毎日新聞―偲ぶ会と記念刊行『九千年の森をつくろう!』を機に、135年記念事業「My Mai Tree」元事務局長、恩田重男さんが振り返る

 熱帯林など森林再生の第一人者で、毎日新聞創刊135年記念事業の植樹キャンペーン「My Mai Tree」(2006~08年度)の植樹指導に力を尽くしてくれた宮脇昭横浜国立大学名誉教授を偲ぶ会が、4月24日、神奈川県厚木市のホテルで開かれた。

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 宮脇さんは、1970年代から、世界の三大熱帯林をはじめ日本の製鉄、電力、自動車、商事、鉄道、不動産、養蜂、大規模小売店など主要な企業の工場敷地や店舗周縁地、各自治体の公共用地、学校、寺社、大地震被災地などで、環境保全林としての常緑広葉樹の再生植樹指導を展開し、集計分だけで、世界19カ国164カ所で532万5522本、国内2773カ所で3397万7409本、合計3930万2931本の「地球の緑」再生実績を残し、昨年7月16日、93歳で亡くなった。

 偲ぶ会は、新型コロナの感染拡大の影響により1月開催の予定を延期していた。会場には、宮脇方式(メソッド)の植樹事業を実施した主要な企業や官公庁・自治体関係者、植物生態学の研究者、NPOなど環境団体関係者、植樹祭への常連参加者ら約160人が参加した。

 会場中央に飾られた宮脇さんの遺影は、十数本の常緑広葉樹の幼苗に囲まれ、植樹現場でお馴染みだった麦わら帽子姿。参会者の黙祷で開式し、主催者代表挨拶で、藤原一繪同大学名誉教授は、宮脇先生が特に3・11東日本大震災などの被災地の復興に心を砕かれていたことに触れながら、「ロシアの侵攻を受けているウクライナの惨状を見たら宮脇先生は何と言われたか。きっと復興の先頭に立たれたと思います」などと話した。

 来賓挨拶では、ケニアの熱帯林植樹を支援した日置電機(長野県上田市)、中国やネパールで植樹支援を継続している山田養蜂場(岡山県鏡野町)などの代表者が、宮脇方式の植樹事業を後世に引き継ぐ決意を表明し、ドイツ留学時代以来の交友というイタリア植物学会元会長らからのビデオメッセージが披露された。

 昼食は弁当の「黙食」、参会者の歓談はマスク越しで行われ、歌手の雨谷麻世さんが、「My Mai Tree」で歌詞原案を募集した森づくり讃歌「僕にできること」(荒木とよひさ作詞、宮川彬良作曲)などを披露した。

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 この偲ぶ会で、宮脇先生の偉業を讃えて記念刊行された『九千年の森をつくろう! 日本から世界へ』(藤原書店)が紹介された。全710頁の大作(6200円税別)。国際環境賞「プループラネット賞」(旭硝子財団主宰)を日本人で初めて受賞した時の記念講演録(2006年)や、宮脇方式の森づくり哲学と理論と手法、国内と世界で行われた植樹活動の報告、実践記録のデーターベース、先生の語録など7部構成。実践記録のデータは、1970~2020年の51年分の、施設・事業名、場所、事業者、植栽時期、植栽面積、植樹本数を列記。前半の1970~2004年分は、『あすを植える』(宮脇昭・毎日新聞「あしたの森」取材班共著、毎日新聞社刊)への掲載用にJISE(現IGES-JISE)国際生態学センターが集計したもの。

 植樹活動報告には、「My Mai Tree」の3年間の実践が「市民参加で植えた一九万三○○○本」として(報告者・恩田重男)、その後2017年10月まで50万5925本を植えた植樹事業「つながる森プロジェクト」が「宮脇植樹が問いかけるもの」として(同・山本悟)、それぞれ4頁に所載されている。

 宮脇先生との出会いは、横浜支局長一年生の2001年10月。神奈川県内の異業種交流フォーラムで長年の業績を顕彰することになり、横浜市内のJISE国際生態学センターを訪ねた。当時はCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議・京都会議、1997年12月)の京都議定書採択により、締約国がそれぞれ目標値を設定し国際社会が協力して地球温暖化対策に第一歩を踏み出した頃。先生提唱の「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」も温暖化の主因とされるCO2の吸収削減策として注目され始めていた。

 初対面から折に触れ、「新聞社も温暖化に本気なら、森づくりを」と、植樹事業への新聞社としての参画を促されて、創刊135年記念事業企画案募集に読者参加型の植樹キャンペーン事業として提案、採用された。06年1月に記念事業がスタートし事務局長3年、その後は08年9月に設立したNPO法人国際ふるさとの森づくり協会(レナフォ)の理事として、15年1月の先生の入院・療養後も20年10月まで特別顧問をお願いした。

 20年余のご交誼でいただいた数多い薫陶を思い起こし、その人となりを敢えて表現させていただくなら、「限りない人間愛、地球愛」を見事に体現された生涯であったと思う。

 事業企画には、協賛広告等収益の裏付けが要るが、この記念事業には苗木購入資金を読者からの募金や企業の協力金で調達しようという算段もあって、成否のハードルは低くなかった。この点、先生は先刻承知で、惜しみないご協力をいただいた。支援協力を引き出すために、企業トップの懐に積極的に入り込み、「次の氷河期まで9000年残る森」づくりを、と訴える各界識者との対談企画にも意欲的に時間を割いていただいた。

 先生と毎日新聞のコラボで醸成された主な事業成果を当時の資料でみると、一般読者からの苗木募金3年余りで1,068件2,960余万円 ▽企業や団体からの協賛金など11件1,056万余円 ▽企画特集広告売上(グロス)延べ39件31,142万円 ▽緑の募金(植樹事業へ直接入金)12件2,300万円 ▽森づくり讃歌「僕にできること」は09年度小学校高学年用の音楽副教材(教材集)に採用 ▽出版物2件~宮脇式植樹の実績と講演、対談集『あすを植える―地球にいのちの森を』(2004年、毎日新聞社)~霞が関ビル設計者池田武邦氏との対談『次世代への伝言 自然の本質と人間の生き方を語る』(2011年、地湧社)

 宮脇先生は、言葉や文化の異なる人々に対して全く同じように接した。自らが確立された哲学と理論の実践に揺るぎない自信を深めていたのだと思う。例えばドイツの都市再生林、中国・内モンゴル自治区の郊外林地、ケニア・ナイロビの環境保全林などで、現地の研究者や協力スタッフに、指示し、励まし、説得する。国内でも北は札幌市で、南は沖縄の本島南端の久高島まで30カ所近い場所で植樹祭指導の現場にお供したが、いつ、どこででも、先生の人との接し方にブレや違いは見られなかった。いつも前向きに、時に厳しく、しかし誠実に――。誠に逞しい「人間力」を見せていただいたと、感じている。

(恩田 重男)