随筆集

2022年6月1日

皇居周回から始まった元社会部、大島幸夫さんのランニング人生

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大島幸夫さん(同誌から)
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 「ランニングの世界」最新刊の第27号(2022年4月1日発行)に、社会部旧友大島幸夫さん(6月で85歳)が、ランニング学会元会長で同誌編集主幹の山西哲郎元立正大学教授(79歳)と対談、マラソン文化についてウンチクを傾けている。

 山西さんは、東京教育大学(現筑波大学)在学中に箱根駅伝に2回出場している。市民ランナーに「走る世界」の魅力を伝え続ける伝道師とも呼ばれる。『三途の川を走って渡ろう―中高年のためのランニング指南』(柏艪舎2016年刊)といった著書もある。

 大島さんがランニングに目覚めたのは、皇居の周回コースだ。40歳を過ぎて、仕事の合間に走り始め、その魅力にはまった。ボストン、NY、ロンドン、パリなど世界主要都市のマラソンを走り、都心を駆け抜ける「東京マラソン」実現のきっかけをつくった。

 フルマラソンのサブ3(2時間59分27秒)、100㌔マラソンのサブ10(9時間47分52秒)の記録を持つ。富士登山競走も完走。障がい者と走る「アキレスインターナショナルジャパン」を創設。「NPO東京夢舞いマラソン実行委員会」理事長として今も走り続ける。

 第12回ランナーズ賞、第16回ヘレンケラー・サリバン賞を受賞している。

 対談でこう発言している。

 《僕が「東京夢舞いマラソン」の名前に込めた思いは、ゆ=ユニバーサルデザイン(障がい者との境目のないデザイン)め=目抜き通り、ま=祭り、い=粋、ということ。それと名前にはありませんが市民主義ということ》

 21世紀を迎えた2001年に、「都心を走ろう3万人で!」をスローガンに、「東京マラソン」実現の夢に向かってマラソン大会を企画、都心の名所を巡るコースを描き、第1回大会を開催した。

 東京都による「東京マラソン」が始まったのは、2007年2月。それに伴い翌08年から「東京夢舞いマラソン・ポタリング」として、歩道を行くフルマラソンと自転車で車道を行くポタリングに変わった。2019年は台風、20、21年はコロナ禍で3年連続大会を中止したが、2022年は、10月9日(日)開催を予定している。

 大島さんは、クライマーでもある。72歳のとき、マッターホルン(標高4478m)登頂に成功している。「真夏なのに、猛吹雪に見舞われ、両手に凍傷を負いました。幸い指を失うこともありませんでしたが」。

 著書に『信州ルポ 土と心と』『信州からの証言—地方記者ノート』(令文社)『沖縄の日本軍—久米島の虐殺』(新泉社)『人間記録・戦後民衆史』(毎日新聞社)『不屈の闘魂・張本勲』(スポーツニッポン新聞社)『ドキュメント日韓ルート』(講談社)『沖縄ヤクザ戦争』(晩聲社)『勇気に風を』(毎日新聞社)『燃えろ!快速球—小松辰雄物語』(二見書房)『地球人の伝説—もうひとつのシネマワールド』(三五館)など。沖縄・日韓から野球・映画まで幅広い。ランニング関係では『市民マラソンの輝き―ストリートパーティーに花を! 』(岩波書店)『協走する勇者(アキレス)たち―マインドは誇らしげな虹の彩り』(三五館)がある。

(堤  哲)