2022年8月8日
森浩一・元社会部長の「東京社会部と私:記憶の底から(13)
1972、札幌・軽井沢・沖縄・西独ミュンヘン
1972(昭和47)年の年明けとともに、2月開幕の「雪と氷の祭典」サッポロ冬季オリンピック取材で札幌に長期出張をした。社会部からは八木亜夫、杉山康之助、有馬寧雄君が一緒だった。
天皇皇后両陛下 小雪舞う中で
当時は、開会式もスピードスケートも屋外リンク。ボブスレーやリュージュも同じであった。2月3日の開会式。天皇皇后両陛下が着ぶくれて、小雪舞う屋外リンクにお立ちになった。ボブスレーは氷が固い明け方に競技があるので、未明、弁当が凍らないようにコートの中の腰に巻きつけ、ゴール地点からスタート地点へ自分の足で登った。
スキーのシュランツ選手(オーストリア)が商標入りのスキーを担いで乗り込んできた。IOC会長ブランデージは「オリンピックはアマチュアのためのみある」とシュランツの出場を禁じた。
スキーの70m級ジャンプで日本選手が金、銀、銅を独占した。笠谷、今野、青地選手で、観衆は大歓喜。運動部編集委員の石川泰司さんが大声をあげて狂喜したのを覚えている。フィギュアスケートのジャネット・リン(アメリカ)が選手宿舎の壁にPeace and Loveと書いて大変な話題になった。オランダのスケート選手ケレンデール・ストラは3児の母だった。
赤軍、軽井沢浅間山荘を襲う
群馬県の榛名山中ですさまじい事件を起こした連合赤軍の1派が猟銃店から猟銃を奪って長野県軽井沢の河合楽器保養所「浅間山荘」に逃げ込んで、管理人の女性を人質に立てこもっていた。サッポロから帰るとすぐに軽井沢へ、とデスク。長野支局、社会部から大勢行っているところへ行くことになったが、「山荘」から一番近いところへ陣取って、人質救出を取材する役割だった。
零下20度近くまで下がる軽井沢の夜は冷たく寒い。股火鉢にと、ヒゲの前田昭君がカラの石油缶に火を入れて持ってきてくれた。長期戦になり、あらゆる戦術を用いて突入した警官隊が人質を救出、立てこもった犯人5人を逮捕したのは2月28日だった。
目の前で警官2人がライフル銃で撃たれ死亡した。その1人は以前、警視庁公安警備を担当したときの警備2課の係長だった温厚な人で、機動隊長になって指揮を執っていた。他社の取材陣にも負傷者が出た。
今度はまた沖縄へ
3月、東京社会部の杉山康之助、吉川泰雄、有馬寧雄、西部報道部片山健一君と本土復帰を前にした企画取材『沖縄 いま帰る』で沖縄に長期出張した。外務省機密漏洩事件が発覚したのは沖縄にいる時だった。
4月、佐々木武惟さんが社会部長になった。5月15日、沖縄本土復帰・沖縄県発足。この日のためにまた沖縄にトンボ返りした。
西独ミュンヘン・オリンピック
その後、写真部の仁礼輝夫さんと組んで西独ミュンヘンに渡るようにと言われた。 2人で都内外の諸競技練習場などに予備取材で足を運んだ。第20回夏季ミュンヘン・オリンピックは、第2次世界大戦で破壊しつくされたドイツの目覚ましい戦後復興と平和を目指す国家に生まれ変わっていることを世界に示す史上最高の大会になるはずだったが……血塗られた大会になってしまった。
(社会部OB 森 浩一)