随筆集

2022年8月22日

50年前「サンデー毎日」特報の久米島虐殺事件をNHKEテレが特番に

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番組で紹介された「サンデー毎日」の特集記事(画面から)

 「久米島の戦争〜なぜ住民は殺されたのか〜」が8月20日午後11時からNHKEテレのETV特集で放映された。

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 《太平洋戦争末期の1945年6~8月、沖縄の久米島で日本軍が住民計20人をスパイとみなして次々と殺害する事件が起きた。これまで住民の多くが事件について沈黙を守ってきたが、去年発刊された「久米島町史」には、悲劇を風化させてはいけないと重い口を開いた住民の証言が多数収録され、事件の複雑な背景が明らかになりつつある。なぜ住民は殺されたのか。米軍資料や新たに見つかった日本兵の日誌も分析、事件の深層に迫る》

 沖縄のソンミ事件——久米島島民虐殺の真相

 サンデー毎日が特ダネ報道したのは、1972年4月2日号だった。沖縄が本土復帰した50年前である。

 取材したのは、社会部からサンデー毎日編集部員となった1963年入社の大島幸夫さん(現85歳)である。

 「編集長の中村均さん(2002年没74歳)が、沖縄のソンミ事件(1968年ベトナム戦争で米軍がソンミ村の住民500人余を虐殺した)だ、と見出しを付けた」という。

 6月23日が「沖縄慰霊の日」、沖縄の終戦記念日だが、離島の久米島には6月26日、米軍が上陸した。米軍は、住民に投降を呼びかけ、島民も次第に山を下り、米軍政下に入っていったという。

 日本海軍通信隊の鹿山正兵曹長を指揮官とする鹿山隊は、山に身を隠し、島民が米軍に寝返らないよう見せしめの虐殺を繰り返した。

 鹿山隊による虐殺は、6月27日から始まり、玉音放送のあった8月15日後の8月20日まで、4度に及んだ。鹿山隊が投降したのは9月7日、米軍がこの島から撤隊したのは10月27日だった。

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 続報 沖縄ソンミ事件「私の信念はお国の為にであった」鹿山兵曹長の独占手記(4月23日号)

 あの鹿山兵曹長の現地が告白する「沖縄の怨」——久米島虐事件(6月4日号)

 「サンデー毎日」には、以上のような続報があって、大島さんはこれらに加筆して、『沖縄の日本軍』(新泉社1975刊)を出版している。

 ネットで検索すると、久米島には「痛恨之碑」が1974年に建立されている。

(堤  哲)