2022年8月25日
茫々記「吉展ちゃん事件」異聞(2)
吉展ちゃん事件の専従捜査班は警視庁捜査一課の片隅で資料の点検と整理が主な仕事になり、どうみても事件の幕引き役であった。
一か月が過ぎた。4人に共通の思いが募る。小原保(当時32歳)という男である。旧捜査本部が公開捜査から1ヶ月後に別件の横領容疑で逮捕。さらに6ヶ月後に詐欺容疑で逮捕、徹底的に追及した結果、シロとした男だ。その男を「再度追及したい」というのである。
当時、同課筆頭課長代理の武藤三男(当時警視)はこう思った。
➀2度も逮捕して調べシロにした者を再度追及することは捜査本部の判断を否定することだ。
➁当時、小原は詐欺罪で実刑判決を受け、前橋刑務所で服役中。取調べをするとしても刑務所内で任意の事情聴取しかできない。
➂仮に3度目の取調べをし、再びシロとしたら事件発生時に浴びせられた以上の非難を受ける。人権問題になるかもしれない。逆にクロとなったら事件は解決するが、2度もシロとした旧捜査本部員の立場はどうなる。両者の間に軋轢が生まれ、捜査一課が割れる。
小原は火中の栗である。
武藤は自身で資料を調べ直す。結論は「なるほど3度目をやってみる価値はあるな」。
その場合、自分自身が捜査責任者になるしかない。進退を覚悟しなければならない。
5月13日。捜査一課幹部会(課長・課長代理7人)は小原に対する3度目の捜査を決める。毎日新聞はこの動きを2日前につかみ、同日の夕刊最終版社会面3段で特報する。武藤が危惧した通り、旧捜査本部員が強く反発した。「2年間も同じ捜査本部で仕事をしシロにしたのに、いまになってクロだというのか」。
周囲をはばかることなくシロの根拠が語られた。震動は刑事部を超えて伝播し、シロの大合唱となった。事態を重視した警視庁刑事部は専従捜査班と旧捜査本部員を集め、打合せ会と称し両者の融和を図ったほどである。しかし、この紛糾は収まらず続いた。
武藤は「小原捜査」のために専従捜査班に新しいメンバーを加え13人のチームをつくり、自ら捜査責任者となる。のちに伝説的刑事となる平塚八兵衛は、この時に加えられた1人である。
平塚は武藤から「明日は休日だが、話があるので出勤してほしい」と言われた。その休日の早朝、ボクは平塚の自宅に行った。「おはようございます」「エッ…オッ…なんだ」。「今日は休日だゾ」「でも平塚さん…出勤でしょう」「…ウム ウウ…なんで知っているんだ」
「車でお迎えにきました。警視庁の近くまで送ります」……長い沈黙……「そんなら乗せてもらうか」。車中での会話。「平塚さん……やるんですか」「なにを…」「小原の取調べです。今日、武藤さんは平塚さんを口説くはずです」。答えない。会話はとぎれる。しばらくして「やりたくねえな。オレは吉展ちゃん事件と関係してこなかったが、みんなの話を聞くと小原はシロだろう。それに前の課長とは縁が深くてな……世話になった。そういう恩義もある。オレはやらないよ。おことわりだな」。
その夜、再び平塚宅を訪れた。「こんばんは」「やっぱり来たか」「どんな返事をしたんですか」「うん。やるよ。やることにした」。なんともあっさりした返事だった。
武藤は、その後、捜査一課長、浅草署長、方面本部長、警視庁参事官と昇進して退官する。ボクとの付き合いは亡くなるまで続く。ある時、こんな会話をした。「あの時、平塚さんを選んだ根拠はなんですか」。答えはこうだった。「彼の功名心の強いところを買いました」。(敬称略)
(東京社会部OB 堀越 章)