随筆集

2022年8月29日

茫々記「吉展ちゃん事件」異聞(3)

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1965年5月15日朝刊社会面

 事件報道は捜査情報を取ることから始まる。だが、これが一筋縄では行かない。捜査側は情報を隠し、はぐらかす。ときにはウソもつく。一方の報道側は、それを承知のうえで探りを入れる。不条理を共有しながらの交流である。

 吉展ちゃん事件は発生から2年。三度目の正直という異例のかたちで「小原捜査」が始まる。といっても容疑者の小原保は服役中で対面での取調べは行なわれていない。容疑事実は過去2回の捜査で洗いつくされている。新事実の発見はない。それでも捜査一課はあえて、それをやるという。勝算はあるのか。疑問を抱きながら記者は追わざるをえない。もしこれまでの「シロ」が「クロ」になったら前代未聞のビッグニュースになるからだ。

 このような局面で「シロ」か「クロ」かに関心が集中するのは当然の成り行きだろう。だが、そこに取材の重点を置くと、どうしても、思考が過去2回のときと同じ回路をたどる。いつか来た道をまた歩く。堂々巡りで新味に遭遇せず記事にならない。捜査と報道は立場が違う。ときに視点をずらすことも必要だ。

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1965年5月19日夕刊社会面

 捜査一課担当のボクと小石勝俊は初期の段階で道村博キャップと相談。当面の取材は、「シロとかクロにはこだわらない。捜査の動きだけを重点に記事にする」と決めた。平凡でありきたりだが、この合意は案外よかった。過去への回帰を封印して、いまを書けばいい。

 紙面は初報の「元時計商・小原を捜査」に続いて「捜査員を小原の故郷福島へ」「小原を前橋刑務所から東京拘置所に移管」「元愛人を事情聴取」といずれも社会面4段から6段の目立つ扱い。この段階で他紙には「小原捜査」の記事はない。この状況を週刊誌はこう書いた。

 <クロ説の毎日 他紙はシロ説>
 <第2の下山事件>

 また他紙の中には小原に対する取調べを<人権か捜査か――取調べの問題点>という記事を社会面トップで掲載した。毎日新聞東京本社社会部内でも同様の意見が出始めた。「シロ・クロにとられない」立場で書いた記事がクロ説に化ける。レッテルを貼る趣向は60年前もいまも変わらない。

 小原の対面での取調べは2週間という期限つきで行われた。取調室は東京拘置所内の部屋。この捜査が異例ずくめだという事情を考慮した条件つき取調べであった。取調べるのは平塚八兵衛である。

 小原はそれまでに2回逮捕されており、捜査側のやり方、思惑を経験知としてわかっている。しかも3回目の取調べが強制捜査ではなく任意の事情聴取だということもよく理解している。だから「ちょっと横にさせてください」といって寝転び、しばらくはそのままだったりする。季節は6月下旬。むし暑い部屋の中で平塚は小原の挑発的な嫌がらせに耐え、ひと言でも多くしゃべらせるよう仕向ける。下着やシャツだけでなく、ズボンまでが汗でびっしょりになった。

 取調べが始まると、取材はこれまで以上に過熱した。各社とも応援の記者を投入した。捜査責任者・武藤三男宅の門柱には――父を寝かせてください 姉妹一同――と書いた大きな紙が貼り出された。(敬称略)

(東京社会部OB 堀越 章)