随筆集

2022年9月26日

人形浄瑠璃「文楽座」が開設してことし150年・銀座で文楽鑑賞

 人間国宝桐竹勘十郎が人形を操る「GINZA文楽」が 9 月 21 日、東京・中央区役所隣の銀座ブロッサム(中央会館)で開かれた。演目は『端模様夢路門松』(つめもようゆめじのかどまつ)。一人遣いの人形「つめ人形」の門松が、三人遣いの人形になって主役を演じる夢を見るという勘十郎が80年代に創作したちょっぴり切なく、ユーモアあふれる作品。

 門松が嘆く。「毎日~~、舞台へ出りゃ、どつかれたり蹴られたり頭にたんこぶ作らん日はないわい。みんなワイなぁ、一ぺんでもエゝ、三人遣いになってみたいんじゃ」

 解説を聞いてびっくりしたのは、ことし2022年は、文楽150年に当たるメモリアルの年であるということ。1872(明治5)年に、大阪の松島遊郭に「文楽座」が創設され、それから人形浄瑠璃が「文楽」と呼ばれるようになったのだという。

 この1872(明治5)年、「東京日日新聞」は浅草で創刊、「資生堂」は銀座で、「鉄道」は新橋—横浜間で10月14日(太陽暦)開通した。ベースボールもこの年に米国人教師から伝わったとされる。文明開化の世の中だった。

 「GINZA文楽」は、この毎友会HP編集責任者の高尾義彦さんのあっせんで、OBの磯貝喜兵衛さん(93歳)、元日本記者クラブ事務局長・中井良則さん(69歳)、編集局の事務・経理を取り仕切っていた国井道子さんと共に鑑賞したが、大阪社会部育ちの磯貝さんは「私の知っている文楽は、大阪の四ツ橋にあった」と話した。

 調べてみると、「文楽座」は、その後、御霊(ごりょう)神社(大阪市中央区淡路町5丁目)→1927(昭和2年)に「四ツ橋文楽座」がつくられている。1956(昭和31)年、四ツ橋から道頓堀(のちの「朝日座」)→84(昭和59)4月に大阪日本橋に国立文楽劇場が開場した。

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人間国宝・桐竹勘十郎
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「門松」が主役の「GINZA文楽」のチラシ

(堤  哲)