随筆集

2022年10月3日

日中国交正常化50年。元北京特派員、辻康吾さんが「私とパンダ」の思い出

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 今年米寿を迎え、またちょうど五十周年となる日中国交正常化交渉のことがしきりと思い出される。

 1972年9月25日、特別機で北京に入り、29日に日中共同声明が調印され、上海で一泊して帰国した。

 北京での取材の合間に外国人用の友誼商店で買い物をし、高さ50㌢ぐらいの巨大なパンダの縫いぐるみを買った。今でこそパンダ(ジャイアントパンダ)のことは誰もが知っており、ぬいぐるみなどの人形も巷に溢れているが、茅台酒と同様、日中国交正常化まで日本でパンダを知る人は多くはなかった。

 実は動物好きの私は入社前から、後に上野動物園長となる増井光子さんなどが加わる希少動物の研究会でパンダのことは知っており、入社後には訪中する松村謙三氏に日中関係促進のため中国からパンダをもらい受けて欲しいと陳情したこともある。そんなこともあり共同声明調印後の記者会見で大平外相からパンダの話が出た時、記者団から「パンダってなんですか?」との質問があり大平外相は「何か大型のネコのようなものなそうです」と答えたとき、思わずニンマリしたことを覚えている。

 話は前後するが国交正常化前に広州交易会に参加し、ついでに広東の動物園でパンダを取材、パンダの檻に入れてもらった。ちょうどパンダの食事時間で竹ではなく、ちょっと甘いお粥のようなパンダの餌の味見をしてみたり、お尻を押したり叩いたり、また三頭のパンダの名前を聞いて標準の中国語で呼びかけても応えないのに、地元の広東語で呼びかけると寄ってくるなど---その際に撮った写真が本紙に掲載されると、本社ではその写真を欲しいとの読者の電話が殺到したそうだ。

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1972年10月28日に上野動物園に来園したカンカン(康康)=左=とランラン(蘭蘭)

 あの北京で買った大型パンダの縫いぐるみは今でも手元にあり、その頭を撫でながらお尻を叩いた広東のパンダに悪いことをしたなと反省している。

(1961年入社・辻 康吾)

 辻康吾さんは東京外国語大学中国語学科、立教大学法学部卒。香港、北京特派員を経て、北京支局長、東京本社編集委員など歴任し2005年退職。東海大学教授、獨協大学教授も務めた。著書は「転換期の中国」(岩波新書)「中華曼陀羅『10億人の近代化』特急」( 学陽書房のち岩波現代文庫)「中国考現学」(大修館書店)「中華人民笑話国 中国人、中国人を笑う」(小学館)「中国再考――その領域・民族・文化」 (監修、岩波現代文庫)など。