随筆集

2022年10月19日

10月20日は毎日神社の例大祭、ニッポン号の偉業を称え

 原田マハ著『翼をください』(毎日新聞社2009年刊)を最近読んだ。国産機初の世界一周飛行に成功した毎日新聞社のニッポン号をテーマにした小説である。

 原田さんは、六本木ヒルズ森タワー53階にある森美術館の開館にキュレーターとして参画、「森ビル時代の同僚で飛行機オタクの矢部俊男さんに、ニッポン号の秘話を小説化しないかと持ち込まれた」と書いているが、あとがきに68年入社の元事業担当常務中島健一郎さんの名前があった。

 早速メールをすると、即返事がきた。

 《森ビルの勉強会で矢部俊男部長と知り合い、仲良しになりました。矢部さんは、東京の街を1/1000スケールで再現する都市模型を手作りしたユニークな人で、飛行機大好き人間。僕を毎日新聞社に訪ねて来た時に、ニッポン号の模型を見つけ「中島さん、世界一周の物語をスタジオジブリでアニメにしませんか」と提案してくれました。しかしジブリは「簡単にはアニメは出来ない」となかなか乗ってくれません。

 そこで森美術館設立に関わった原田マハさんがラブストーリー大賞を受賞、作家デビューしたばかりだったので、矢部さんと僕でニッポン号の小説化をマハさんに頼み込んだのです。

 僕としてはニッポン号の偉業を多くの人々に知ってもらうのは、毎日新聞の宣伝になるし、出版で儲け、もしジブリでアニメになったら映画事業を始めた事業本部にとってもチャンスと考えたのです。

 マハさんは、小説家として直木賞候補に4回もなり、大成された感じですが、当時はういういしい賢い女性で、とても魅力いっぱいでした。僕の大好きな作家です》

 そしてパレスサイドビル1階にあるニッポン号の模型の写真を送ってきた。

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パレスサイドビル1階にあるニッポン号(中島健一郎撮影)
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ニッポン号の勇姿

 10月20日は毎日神社の例大祭だ。毎日神社は1939(昭和14)年、毎日新聞社(当時は大阪毎日新聞社、東京日日新聞社)の双発輸送機「ニッポン」号が国産機初の世界一周飛行に成功したのを記念して創建されたのだ。

 ニッポン号は1939(昭和14)年8月26日午前10時27分羽田飛行場(現 東京国際空港)を離陸し、東回りで太平洋→北米大陸→南米大陸→大西洋→アフリカ大陸→ユーラシア大陸のルートで巡り、55日後の10月20日に帰国した。総飛行距離52,886 km。所要時間194時間。乗員は機長中尾純利、副操縦士吉田重雄(航空部員)、機関士八百川長作(航空部員)、機関士下川一、通信士佐藤信貞、技術士佐伯弘の6人に、親善使節として外国特派員を経験している毎日新聞社航空部長大原武夫を加えた。

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1939(昭和14)年10月21日東京日日新聞1面
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満艦飾の堂島大毎本社

(堤 哲)