随筆集

2023年2月20日

『目撃者たちの記憶1964~2021』番外・写真部記者列伝⑭ ——「動物写真の草分け的存在」といわれる岩合徳光

 この2枚の新聞切抜は、岩合徳光(2007年没91歳)の動物写真の新刊を紹介する朝日新聞の読書面である。

 サンショウウオの写真をあしらった『カメラ動物記』(地人書館1959年刊)は、59(昭和34)年12月13日付。「作者は毎日新聞社のカメラマンだが、一枚一枚の写真に深い研究と苦心が読みとれる。動物学的興味だけでなく、観察写真としても美しく、楽しい写真集だ」

 右の『滅びゆく日本の野生』(河出書房新社1975年刊)は、75(昭和50)年7月21日付。「動物の写真と取り組んで20年の著者は、この写真集の出版を思い立ったとき、日本の野生動物への“生命の讃歌”としたかったのだが、結果は滅びゆく野生動物の哀歌になってしまった、と嘆いている」

 岩合は北海道釧路市生まれ。日大経済学部を中退して、1942(昭和17)年5月、満州の大連日日新聞のカメラマンとなった。敗戦で帰国して48(昭和23)年7月、毎日新聞東京本社の6階にあった「サンニュースフォト」に入社する。前年11月に創刊した「週刊サンニュース」の編集長は、名取洋之助。ドイツで体験した「フォト・ルポルタージュ」(「報道写真」はその和訳)の写真誌だった。

 3か月後には毎日新聞写真部へ転社。49年春には「暗室から解放され、スピグラを持たされた」が、翌年6月から出版物の写真を専門に撮るようになった。

 「サンデー毎日」昭和25年10月15日号に、昭和天皇の長女東久邇成子さんと三女鷹司 和子さんのスナップ写真が載っている。姉妹で銀座に買物と説明にある。

 「毎日グラフ」昭和27年8月20日号、上野動物園で撮影のサイをグラフで組んでいる。この年は、上野動物園が創立70周年。連日のように通って、チンパンジーやゴリラ、キリンなど動物写真をものにした。同時に小動物の産卵などを接写で撮影、「接写の岩さん」と呼ばれた。

 岩合は、1961(昭和36)年に退社して動物カメラマンとして独立する。毎日新聞在社13年余だった。

岩合徳光さん
 

 『カメラ動物記』のあとがきにこうある。「小さな虫、魚、卵などに長い接写リングをつけ、ある時は、超望遠レンズのファインダーを夢中になってのぞく生活をしているうちに、生きるものが、それぞれに黙々と“種の保存”のために懸命の努力を重ねている姿が一番好きになっていることを自覚したのだ」

 在職中に一番世話になった人に、先輩カメラマン二村次郎(1994年没、80歳)をあげている。二村は、報知新聞から1938(昭和13)年入社。東京五輪を前に63(昭和38)年8月に新設された出版局写真部の初代写真部長。「蚊のオシッコ」や「ノミの飛翔」の撮影に成功した動物写真の先達である。

二村次郎さんとその作品

 猫の写真で有名なカメラマン岩合光昭さん(72歳)は、息子である。

(堤  哲)