随筆集

2023年3月27日

元政治部長佐藤千矢子著『オッサンの壁』を読んで

 元政治部長、現論説委員佐藤千矢子さんの『オッサンの壁』(講談社現代新書)を読んだ。面白かった。こんな記者と取材競争をしたら、確実に負けると思った。

 佐藤さんは、男女雇用機会均等法が施行された翌1987年に入社、初任地は長野支局だった。黒岩徹(元ロンドン特派員)と私(堤)は64年長野支局赴任だから、佐藤さんは私たちの23年後輩に当たる。

 《私が最初にした朝駆け取材は、長野中央警察署に毎朝7時に行って、夜中に何があったかを宿直の警察官から聞き出すことだ。…最初の1年間、平日はほぼ毎日続けた》

 当直主任が次長に前夜の報告をする前に、取材していたのである。申し訳ない。私もサツ回りをやったが、事件以外で朝7時にサツに行った経験はない。

 佐藤さんは、社会部を希望したが、政治部に配属される。90年春、山田道子さん(のちサンデー毎日編集長)と一緒だった。

 《毎日新聞の政治部に女性記者は、それ以前に1人在籍していたことはあったが、短期間で外信部へ異動してしまっていた。本格的に女性記者を採って育てようとし、2人をいっぺんに異動させてきたのだった》

 ときの政治部長は、64同期入社の上西朗夫(のち下野新聞社長)である。《部長自身は、福田赳夫元首相に食い込み、外交・安全保障にも詳しく、政治記者の王道を堂々と歩んだような人だった》

 佐藤さんは、「女岸井」とあだ名が付けられたことがあった。《政治部の1年目は最長で5日間ぐらい風呂に入らず、仕事をしていた時があった》

 「NEWS23」のキャスターとなった元政治部長岸井成格(2018年没73歳)は、風呂に入らないことで有名だった。《憧れの先輩にちなんだあだ名で呼ばれることは光栄なことであったが、そこに込められた意味は「ようやく男並みに仕事をする女の政治記者が出てきた」ということだったのだろう》

 岩見隆夫(2014年没78歳)も実名で出てくる。《一緒に飲んで酔っ払い、「やり残したことは」と聞かれると、「政治部長」と言うことがあった》

 岩見は、58年入社、大阪社会部→東京社会部→66年政治部。ロッキード事件政治部取材班キャップ。上西ら若手記者とともに「三木武夫首相降ろし」「灰色高官」などで精力的な報道をして特ダネを連発した。政治部デスク→秘書室長。経営危機の毎日新聞社が負債を旧社に残して新社を発足させ、その新社社長平岡敏男に請われて秘書室長就任だった。

 その後、論説委員→「サンデー毎日」編集長→編集局次長→編集委員室長などを歴任するが、コラム「近聞遠見」で92年、日本記者クラブ賞を受賞した。

 脇道に逸れるが、社会部のやり手記者ヤマソウ・山崎宗次(1987年没52歳)も「社会部長」にほぼ内定しながら当時の広告局長から貰いがかかった。岩見と同様のケースだ。

 佐藤さんの2年間の政治部長が終える送別部会。《司会者が私についての挨拶を忘れて、送別会を終わろうとした》とあるから、びっくりだ。《「佐藤さんは、女性部長としてよく頑張ったと思います」。近くで聞いていた別の記者が「微妙な挨拶だな」と笑った》と続けている。コラム「風知草」の山田孝男元政治部長は《「あんなに雰囲気のいい政治部を作り上げて十分じゃないか」》。

 講談社現代新書のHPには、以下のように紹介されている。

永田町 「驚きのエピソード」
・総理秘書官の抗議 「首相の重要な外遊に女性記者を同行させるとは何ごとだ!」
・夜回り取材時、議員宿舎のリビングで、いきなり抱きついてきた大物議員
・いつも優しい高齢議員が「少しは休みなさい」と布団を敷き始めた……さて、どうする?

政治記者の「過酷な競争」
・事実無根の告げ口をされ、梶山静六に激怒される 「あんたが漏らしたのかっ!」
・空恐ろしかった一言「女性で声が一人だけ高いから、懇談の場の空気が乱れるんだ」
・毎朝の「ハコ乗り」競争、夜の「サシ」取材……入浴時間を削って働く激務の日々

男性でもオッサンでない人たちは大勢いるし、
女性の中にもオッサンになっている人たちはいる。(本書より)

(堤  哲)