随筆集

2023年5月22日

97歳牧内節男さんが小西良太郎さんの葬儀に列席

 築地本願寺で5月20日、営まれた元スポニチ常務・音楽プロデューサーの小西良太郎さん(13日逝去86歳)の告別式後のスナップ。元スポニチ社長の牧内節男(97歳)さだ子さん夫妻と、牧内さんからスポニチ社長を引き継いだ森浩一さん(88歳)である。

 下の写真は、かつてのスポニチ社員の挨拶に応じているところ。ドクヘン(独断と偏見)社長時代を思い出したのか、手振りを交えて、声に張りがあった。

 「3月末だったか、小西君がオレの見舞いに来てくれたんだ。昔話を3時間くらいしたかな。自分の病気(膵臓がん)のことは一切口にしなかった。まさか先に亡くなるとは思ってもみなかった」と牧内さん。

 夫人のさだ子さんは、元写真部の米津孝さん(94歳)と岡崎市の根石小学校で同級生だったというから奇縁である。

 スポニチ社長になったのが1988(昭和63)年12月。最初に取り組んだのが編集局長人事で、翌89年4月に小西編集局長が誕生している。その直後に「女王」美空ひばりが亡くなり、編集局長自ら「不滅ひばり真話」を1カ月間にわたって執筆した。

 《「スポーツを中心とした総合大衆紙面」(喜怒哀楽をはっきりさせる庶民感覚の新聞)の展開を考えていた私にはユニークな発想をする編集局長が欲しかった。役員の石井経夫さん(故人)に聞くと「傍系の会社にいる小西君がいいでしょう」という。そこで小西さんと食事をしながら雑談をした。第一印象は「やんちゃなきかん坊主」という感じであった。私の出す企画に常に+アルファをつけて紙面化した》(銀座一丁目新聞)

 小西さんの通夜・告別式の模様はスポニチアネックスの記事を読んで下さい。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/05/20/kiji/20230520s00041000026000c.html

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/05/21/kiji/20230520s00041000763000c.html

 遺影の前に「酔々独歩」。《小西の造語です。「ほろ酔いながらスーイ、スーイと我が道をゆく…」》《歌を愛し、人を愛し、そして仕事を愛した。100%全力の人生でした》と、喪主の妻玲子さん(右の写真中央、隣はスポニチ小菅洋人社長)。

 祭壇の花。北島三郎、五木ひろし、川中美幸、石川さゆり、八代亜紀、小林幸子、由紀さおり、坂本冬美……。それが式場両脇、通路から玄関まで。「こんな大がかりの葬式は初めて。コロナ前も経験していません」と、直会の席で演芸評論家・矢野誠一さん(88歳)。

 小西さんは、音楽担当記者時代から美空ひばりをはじめ、吉田正、船村徹さんらと交友を深め、八代亜紀の「舟唄」「雨の慕情」や坂本冬美の「夜桜お七」などのヒット曲をプロデュース。日本レコード大賞審査委員長を7年務めた。

 阿久悠さんの「甲子園の詩」もヒット企画だった。

 2000年にスポニチを退社すると、舞台俳優に転身。「東宝現代劇75人の会」に所属、川中美幸の劇場公演にも出演、熱演した。

(堤  哲)