随筆集

2023年11月15日

平嶋彰彦のエッセイ「東京ラビリンス」のあとさき 28 船橋—天道念仏と大師伝説

(抜粋) 奇数月の14日更新
文・写真 平嶋彰彦
全文は http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53496879.html

 私が習志野に転居してきたのは1975年である。勤務先は毎日新聞社(千代田区一ツ橋)で、通勤の最寄り駅は総武線のJR津田沼駅だった。駅の周りに繁華街といえる街並みは見当たらず、私の住んだ南口側となると表通りには飲食店が1軒もなかった。船橋は習志野の隣町だが、JR船橋駅の南口には西武百貨店がすでにあった。北口に東武百貨店が出来たのは、それより1年か2年してからである。私にとって船橋は津田沼と較べると大都会で、なんとなく千葉の池袋という感がある。というのも、転居するまでは、池袋駅西口から歩いて30分程度の転勤者用の社宅に住んでいた。池袋と船橋は街の構造が似ていた。百貨店の西武と東武ばかりではない。船橋駅の周りには、かなり年期の入った歓楽街が形成されていた。

京成本線船橋駅。上り方向を見る。本町1-5-1。2023.7.10。

 習志野に転居した当初は、ときどき船橋の西武百貨店に買い物でかけたが、やがて津田沼駅の周りにも高島屋デパート、パルコ、丸井などが進出するようになった。そうなると、船橋の商店街にはおのずと足が遠のくようになった。

京成船橋駅とJR船橋駅の連絡通路。本町1-3-1。2023.7.19

 今年の7月、連日30度を超える猛暑のつづくさなか、例によって大学写真部の仲間たちと船橋の街歩きをした。船橋西武百貨店が閉店したことは聞いていたが、その後どうなったかは気にもしていなかった。駅を出てふと目をやると、解体工事が進んでいて、6階建てのビルは瓦礫の山と化していた。

 船橋西武百貨店の館内には美術館があった。設立されたのは1979年であるが、その年の4月に「ピーター・ビアード映像展」が開催された。この展覧会については、『昭和二十年東京地図』を企画し、私が同行取材した西井一夫とのなつかしい思い出がある。

 「ピーター・ビアード映像展」は『毎日グラフ』で、6ページだったか8ページだったか、特集を組むことがあった。西井一夫の企画である。彼が何を書いたかは覚えていないが、おざなりの紹介記事ではなかったはずである。それはともかく、なんの手違いがあったのか、美術館側はB4見開きサイズの印刷に耐えるプリントを用意していなかった。あれこれ言っても始まらないので、急きょ、西井と一緒に船橋の西武美術館を訪ね、展示作品を複写することになった。

 美術館では展示作業が始まっていた。作品は全倍のバカでかいサイズで、しかも前面がガラス張りの額装だった。展示室の一画を借りて撮影したのだが、用意したライティング装置ではガラスに反射する写り込みを消せなかった。やむをえず、作品のガラスを外してもらい、さらに撮影の瞬間には室内の電灯を消してもらった。カメラは4×5と思ったが、使い慣れたカメラの方が間違いも少ないので、アサペンの6×7サイズを使うことにした。

 西井は『カメラ毎日』から『毎日グラフ』に転属したばかりで、これが私と組む初めての仕事だった。帰りがけの車のなかで、西井からぽつんと「どうしようかと思っていた。あんたでよかった」といわれた。

 JR総武線で東京から千葉方面に向かうと、小岩駅の次が市川駅である。途中、江戸川を渡る。川が県境になっていて、渡ると千葉県である。市川市には国府台の地名がある。古代における下総国府の所在地とされる。京成本線に市川真間駅があり、その北側一帯の地名を真間という。そこが『万葉集』で詠われる真間の手児奈(ままのてこな)の伝承地である。

 江戸川(利根川)は、真間から南東方向に約4キロ下ったところで、江戸川本流と旧江戸川に分岐する。旧江戸川はそれよりさらに南西方向に蛇行しながら流れて、約10キロ先で東京湾に注いでいる。この旧江戸川の左岸に開かれたのが行徳である。

旧江戸川河畔。常夜灯公園。市川市関ケ島1-9。2022.09.27

 行徳については連載その16で書いている。ご覧になっていただきたい。行徳は昨年9月にも大学写真部時代の友人たちと訪れた。街歩きをした後の懇親会で、古代下総の文化的中心だったといわれる市川真間のあたりをいつか歩いてみようということになった。忘れかけた宿題をはたしたのは今年の6月27日。

 この日はJR市川駅で集合したあと、駅西側にある40階建ビルの展望台から市街を俯瞰した。眼下に江戸川が滔々と流れるさまに思わずおおっと息を呑む。北東方向を眺めると、鉄橋が3本。JR総武線、国道14号そして京成本線である。対岸の円形の模様はアマチュア野球のグラウンドらしい。

 江戸川を眺めているうちに、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』で、犬塚信乃と犬飼見八(現八)が決闘をするくだりを思い出した。場所は滸我(現在の茨木県古河市)の芳流閣。古河には足利成氏(古河公方)が拠点とした平山城があった。芳流閣は馬琴の虚構と思われるが、利根川(江戸川)河畔に築かれた3層構造の物見櫓である。

 信乃と見八の犬士2人は組み合ったまま、屋根から利根川に繋がれた小舟に転落。小舟は2人を乗せたまま、川の流れに任せて下り、行徳に漂着したところを、地元で旅店(はたご)を営む文五兵衛なる町人に発見された。

(以下略)