随筆集

2024年1月15日

平嶋彰彦のエッセイ「東京ラビリンス」のあとさき 29 新宿歌舞伎町の悪所と新大久保の異郷(抜粋)

奇数月の14日更新
文・写真 平嶋彰彦
全文は http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53536073.html

 新宿歌舞伎町の区役所通りにかつて小茶という飲み屋があった。この店を宇野敏雄君と柏木久育君と足しげく訪れた時期がある。1974(昭和49)年、私は最初の赴任地である北九州市(毎日新聞西部本社)から5年ぶりに東京に戻ってきた。27歳のときである。二人は大学写真部の後輩で、退社後にはじめた街歩きの会のメンバーである。

 小茶は木造二階の一戸建てで、間口は狭く、二階といっても天井は低かった。私の母親と年恰好の変わらないおばさんが一人で切り盛りしていた。たいていは私たちが最初の客だった。すると決まったように、ウィスキーの水割りに使う氷を氷屋に買い出しにやらされた。酒の肴はマグロのぶつ切り・たまご焼き・お新香ぐらいで品数は少なかった。見た目も素朴というか粗雑な感じだったが、他所の店にはないおふくろの味があった。

 おばさんはなぜか客にたいしてそっけなかった。その代わり、私たちは誰に遠慮するのでもなく落ち着いた雰囲気で長話をすることができた。話題になるのは最近に見聞きした小説や音楽、映画などとりとめもない。その多くは私の知らないことで、これはいまも変わらないが、私はひたすら聞き役にまわる。かれこれするうちに、サントリーホワイト1本を空にすると、区役所通りのすぐ向いにあるゴールデン街に河岸を変えた。

 ゴールデン街でよく覚えているのは唯尼庵というバーだった。こちらの店は小茶とはまるで逆さまの雰囲気で、店を仕切っていたオネエサンは元気というかアナーキーな性分で、騒々しいこと極まりなかった。

 そのころのゴールデン街では、横尾忠則や宇野亜喜良の手がけた寺山修司の天井桟敷・唐十郎の状況劇場などアングラ演劇のポスターがいたるところに貼られていた。この店もその例に漏れず、客は誰も彼も見ず知らずの人たちばかりだったが、1960年代から70年代に突出した反権力の思潮を持つ若い世代の巣窟という感があった。

 1945(昭和20)年の空襲で、新宿は壊滅的な被害を受け、街並みの大半が焼野原になった。私が大学進学のため上京したのは1965年で、東京オリンピックの翌年になる。戦後の復興はテキヤの傘下にあった闇市から始まったというが、新宿駅南口の御大典広場や西口の思い出横丁の周りには、闇市時代の混沌と無秩序がうっすらと残っていた。

 東京都は戦災からの復興計画の目玉として、新宿駅北方に歌舞伎座を設立し、これを中心に大規模な興行・文化街を構想した。しかし1950年に東京産業文化博覧会を開催するにとどまり、実現することはなかった。歌舞伎座の誘致は頓挫するが、その後この一帯には映画館や劇場といった娯楽施設あるいは風俗営業の店舗とかラブホテルなどが雨のあとの竹の子のように建設され、みるみるうちに東洋一とも称される歓楽街に成長した。歌舞伎町の町名は、この未完の夢の残滓ということになる。

 歌舞伎の語源を辞書で引くと、「傾(かぶ)く」が名詞化したもので、転じて正統的・伝統的ではない異様な風体・自由奔放な行動・色めいた振舞いなどを指し、中世末期より近世初頭にかけての時代的な風俗を象徴する言葉となった。それにともない、派手な身なりの無頼・遊侠の徒を「かぶき者」と呼ぶようになった、とある。

 だとすれば、1960年代から70年代にさまざまな形で展開されたアングラ演劇の背景には、本来の意味における「かぶき」という芸術活動を再考し、その心意気を現代に復活させようとする志向が働いていたように考えられる。

TOHOシネタワー。8階のゴジラテラス。歌舞伎町1-19-1。2023.10.24

 昨年(2023年)の10月24日のことだが、いつもの仲間と街歩きをした。コースは、JR新宿駅西口の思い出横丁をのぞき、それより歌舞伎町にむかい、TOHOシネタワーと東急歌舞伎町タワーをみたあと、さらに職安通りへ出て、新大久保のコリアンタウンを訪れるというものだった。

 新宿の街歩きは5年ぶりになる。都市はどこでも猥雑で怪しげな空間がつきものだが、いつの間にか淘汰され、毒にも薬にもならないテーマパークのようになっていく。思い出横丁や歌舞伎町では外国人観光客が驚くほど増えた。なにが面白くてこんなところにと思わないこともないが、おそらく人気の観光スポットになっているのである。外国人観光客が安心して歩ける東京の典型的な悪所ということになる。

 歌舞伎町のコマ劇場はすでにない。跡地にはTOHOシネタワーが建ち、その上からゴジラが街を見下ろしている。コマ劇場は演歌の殿堂と呼ばれ、多くの演歌歌手の特別公演を開催していた。私にはゴジラよりも北島三郎や都はるみの方がなつかしい。

 むかし噴水のあったその前の広場には、十代とみられる派手に着飾った男女がたむろし地べたに座り込んでいた。学校にいくか、そうでなければ、働いている時間帯である。どういうわけかと思って、カメラを向けると、あれは最近テレビや新聞で問題視されている東横キッズだという。年齢は私の孫の世代になる。なかには欧米からの外国人と思われる若者も混じっている(以下略)。