2024年5月16日
平嶋彰彦のエッセイ「東京ラビリンス」のあとさき 31 神田―日比谷入江の道祖神(抜粋)
奇数月の14日更新
文・写真 平嶋彰彦
全文は http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53537941.html
今年の1月17日、いつもの仲間たちと街歩きをした。コースはJR秋葉原駅⇒柳原通り⇒万世橋⇒昌平橋⇒湯島聖堂⇒神田明神⇒聖橋⇒JR御茶ノ水駅。今回掲載した写真は、この日に撮影したものに、一昨年の8月に撮影した5点を加えている。
秋葉原やお茶の水あたりにやって来ると、なんとなく神田明神に足を向けてしまう。江戸っ子でもなんでないのだが、どういうわけか、お参りしないと落ち着かない。
このときは随身門をくぐると左手に茅の輪が設けられていて、初詣の人たちだろう、行列が出来ていた。神田明神で茅の輪を見るのは初めてである。茅の輪くぐりは悪疫除去の行事で、6月と12月の晦日に行われ、夏越(なごし)の祓・年越の祓と呼んでいる。
『民俗学辞典』によれば、茅の輪くぐりは牛頭天王または素戔嗚尊にたいする信仰のことで、牛頭天王は一名を武塔天神、またの名を素戔嗚尊ともいい、疫病を免れるための最有力の神であるとされた。『備後国風土記逸文』「蘇民将来」では、南の海に求婚の旅に出た武塔の神が、妻と八王子を率いて帰還する途中、かつて一夜の宿をこころよく貸してくれた蘇民将来を謝礼に訪ねると、こう告げたとされている。
吾は速須佐雄(はやすさのを)の神なり。
後の世に疫気(えやみ)あらば、
汝、蘇民将来の子孫(うみのこ)と云ひて、
茅の輪を以ちて腰に着けるたる人は免れなむ。
『民俗学辞典』は続けて、この「蘇民将来」の説話が喧伝された効果があって、牛頭天王信仰は京都およびその周辺にあまねく知られるようになったと解説している。
(以下略)