随筆集

2024年6月7日

社会部旧友会懇親ゴルフ会の会長だった山本進さん

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 写真は、2011年5月6日(金)第42回社会部旧友会懇親ゴルフ会の記念撮影である。13年前、場所は若洲ゴルフリンクス。後列左から3人目が山本進さん、当時65歳。前年の6月にスポニチ社長を退任、前列中央の白いキャップ・元スポニチ社長白根邦男さん(当時74歳)とともに初参加した。白根さんの左のサングラスが、当時このゴルフ会の会長・元スポニチ社長牧内節男さん(当時85歳、ことし8月で99歳)である。

 ついでに全員を紹介したい(敬称略、年齢は当時)。前列左から田中正延(71歳)勝又啓二郎(70歳)牧内、白根、川合多喜夫(75歳)永井康雄(79歳)堤哲(69歳)。

 後列左から松尾康二(73歳)仁科邦男(63歳)山本進、中島健一郎(65歳)熊澤誠吾(69歳)石黒克己(69歳)吉沢孝(71歳)勝屋憲二(64歳)寺田健一(70歳)牧野賢治(77歳)畝村治男(72歳)遠藤満雄(66歳)。

 平均年齢70.9歳だった。

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田中正延さんに優勝「牧内賞」を贈る山本進会長(2021年10月11日撮影)

 69入社山本進さん、山ちゃんは、ゴルフが上手かった。この日はアウト・インとも47で回り、グロス94で3位に食い込んだ。優勝はベスグロ82で回った田中正延さんだった。

 山ちゃんは、以来ほぼ毎回参加、翌12年秋、13年春と2回連続でベスグロ優勝。13年秋は46・42のベスグロで準優勝している。

 2015年春の第50回大会から会長を引き受けてもらった。会長の牧内さんが前年に90歳の大台に乗ったことから、牧内名誉会長・山本進会長の体制となった。

 出場計20回。最後に参加したのは2022年秋の第64回大会。「白血病に罹ってしまった。治療法がないというのだ。これが最後となるので、皆さんに挨拶に来たんだ」と、どこまでも明るく、淡々と話した。

 先日、日本記者クラブで開かれた「お別れ会」で、河野俊史スポニチ前社長が長男大輔さんの手紙を読み上げたが、山ちゃんが「白血病」と診断されたのが2022年2月。翌23年4月には治療のため福岡に転居しており、このゴルフ会の会長として、病身なのに律儀に「参加」してくれたのだ。頭が下がる。

 山ちゃんの原稿を書くスピードぶりは、警視庁クラブで何回も目撃している。捜査一課担当は68入社中島健一郎、69山本進、70河内孝の3人で、河内クンが政治部に移って、そのあとに70取違孝昭さんが加わった。

 84年のロス五輪は、社会部の遊軍席から65入社市倉浩二郎さんとともに派遣された。

 山下「黄金の涙」/激痛こらえ‟左足一本勝ち“

 柔道の山下泰裕(当時27歳)は、日本がモスクワ五輪をボイコットしたため「8年目にその夢を金メダルで果たした」と、社会面トップで。

 日本トリオ熱走及ばず/8年待った「金」幻に

 瀬古利彦(当時27歳)双子の宗茂・猛(同31歳)の日本代表3選手で宗猛が4位に入ったのが最高で、「メダルへの夢は果たせなかった」。

 陽気にフィナーレ/日本選手も肩を組んで

 《聖火が消えた瞬間からがアメリカン・オリンピックの真骨頂だった。音楽に合わせて花火の競演。オリンピックの歴史をたどって、開催都市の色合いを夜空に咲かせた。ラオネル・リッチの「オールナイトロング」に合わせて十万人がスイングした。日本の選手たちも、この日ばかりはかみしもを脱いだ。「あれが日本一の長岡市の花火だ」と自慢し、金髪の女性と肩を組むコーチもいた。ヘリコプターでつり上げたUFOが「未知との遭遇」を演出し「蛍の光」が「祭りは終わった」と告げるまで、浮かれて踊ったロサンゼルスの五輪は、いま幕を閉じた》

 閉会式のナンパである。

 毎日新聞のNY支局は、一時ロックフェラービルにあった。「私がNY特派員時代に移った。分不相応だったが、景気のよい時もあったんだよね」と山ちゃんから聞いた。

 コロナ前にヤンキースタジアムへ野球を見に行った時は、グランドセントラル駅のビルの一室に収まっていた。

 白根邦男さんは、2017年8月27日逝去、80歳。
 石黒克己さんは、2024年2月26日逝去、82歳。
 山本進さんは、2024年1月12日逝去、78歳。

(堤  哲)