随筆集

2024年6月11日

有楽町にあった毎日天文館プラネタリウムの歴史を、元スポニチ社長、河野俊史さんがフェイスブックに

 星の民俗学者、野尻抱影氏(作家の大佛次郎氏の実兄)の随筆集「星三百六十五夜」を読み返していて、戦争で焼失した東京・有楽町の毎日天文館(旧・東日天文館)のプラネタリウムのことが6月19日の頁に書いてあるのに気が付きました。

 1938(昭和13)年11月に大阪市立電気科学館に次ぐ日本で2番目のプラネタリウムとして開館し、カールツァイスII型の投影機が設置されていました。毎日新聞の前身の東京日日新聞の社屋(東日会館)にドームがあり、毎日新聞に社名が変わった戦時中も上映が続けられていたといいます。しかし45年5月の空襲で天文館は焼け落ち、6年半で姿を消してしまいました。

 野尻氏は天文館の常連で、自らも研究会の解説者を務めていました。投影に合わせていろいろなレコードがかけられていたそうですが、とりわけ夜明け前のシーンで流れるツィゴイネルワイゼンのメロディーを「実に無類である」と回想しています。灯火管制の厳しかったあの時代、おそらく有楽町でも夜空は暗く、プラネタリウムの外でも今とは比べものにならないほどの星が輝いていたことでしょう。

 80年も昔にタイムスリップしてしまいましたが、今日の写真は惑星状星雲というタイプの二つの星雲です。左はこぎつね座のM27(あれい状星雲)=撮影地は東京都中野区=、右はみずがめ座のNGC7293(らせん状星雲)=撮影地は千葉県館山市=です。

 惑星状星雲というのは、恒星が一生の最期に超新星のような爆発的な現象を起こさずに赤色巨星になった際に、そこから放出されたガスが中心にある星からの紫外線に照らされて輝いている天体のことをいいます(ちょっと難しいですね。文系なもんですみません)。昔は望遠鏡の性能が悪く、惑星状に見えて星雲と区別が付きにくかったので、こんな名称になったそうです。

 M27は鉄アレイのような形状から、NGC7293もその名の通りの特徴から名付けられたものですが、広がりのある散光星雲とは趣の異なる個性豊かな姿が印象的です。大河ドラマの影響ではありませんが、清少納言なら「あれい星 らせん星 いとおかし」とか綴ったかもしれませんね。

(河野 俊史)