2016年5月24日
写真部OB会で
「生紙面、創刊号からデジタル化」。社報2016年春号の最終ページに、富士山と日の丸をカラー写真で撮影した1951(昭和26)年元日の1面が載っている。
この写真について元写真部長の中西浩さん(85歳)が解説した。5月21日、新社長に決まった丸山昌宏元写真部長も出席した写真部OB会である。
写真説明に「山梨県富士吉田より望む朝空の富士山」=安保特派員撮影の天然色写真(カメラ・スピードグラフィックス4×5、レンズ・テレオプター380ミリ、富士カラーフィルム)」とある。「天然色写真」にエッという声が出た。
「富士山をバックに国旗掲揚塔に子供たちが日の丸を掲げているところ。撮影者の安保久武氏は、当時写真部のデスクで『敗戦から5年、当時日の丸を自由に揚げられなかった。そんな時、突如占領軍から国旗を掲げてもよいという解禁令が出されるという情報が占領軍。担当記者からもたらされた。当然来年の正月紙面には取り上げられなければならないし、どのような写真にするか各社共に秘策が練られた。
この時の写真部長は、富士山麓の御殿場出身だけに、この写真は何としても富士山と日の丸を配することと決められた』と記している」と中西さん。写真部長は根上柏実さん(根上磐元常務の父親)、元日紙面は他紙を圧倒した、と説明した。
凸版印刷の時代。色ずれが難敵だった。写真製版部、印刷部など現業部門の技術力が加わって見事な特ダネ写真となった。
堤 哲(元東京・写真部長)