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2017年9月22日

山本祐司さんお別れの会

 2017年9月15日、竹橋の毎日ホールで山本祐司さんお別れの会が催された。亡くなったのは7月22日午前10時7分。その2月半前の5月6日に4回目の脳出血で救急病院に送られ、意識混濁から覚めることなく病床で最後の呼吸を終えた。火葬の順番待ちで密葬は29日、ディズニーランドとほとんど隣り合わせの浦安市斎場で営まれている。享年81。

 お別れの会には123人が集った。司会(小川一さん)、呼びかけ人挨拶(朝比奈豊さん=社内、瀧鼻卓雄さん=社外)、献杯(牧内節男さん)と、ここまで全て元社会部長。数において、さながら社会部旧友会の趣だった。だが、追悼に立った学窓同期(坂倉重徳さん)、応援知人(中嶋義臣さん)、友人代表(森浩一さん)をはじめ、参会者から期せずして上がった声は「山本祐司は正義と優しさの社会部記者だった」。

 これは祐司の像にして、社会部記者が共有せんとした社会部の真髄だったのかもしれない。これを60年間支え切ったのが喪主の久子さん。「さよならも言わず手も握らず一人でいってしまいました。いつものように」の思いを胸に止めつつ、長年、祐司を囲んでくれた参会者をはじめ多くの仲間に「ありがとう」の五文字をもって謝辞とした。

 同期・杉山康之助が若くして死んだとき、祐司は杉山をピーターパンに擬えて羨ましがった。だが半生みれば祐司自身が「大人になりたくない」社会部記者だった。日本記者クラブ賞をはじめ手中にした賞は数えきれないが、祐司が最初に手にし最後まで大事にした賞は、滝本学校(入社研修)の修了時に得た「大人はいやで賞」だった。

 正義と優しさは、実は子供の心。そう、祐司、子供たちは大きく育ってるぞ。「凄いねえ」「いいねえ」「大丈夫だよ」といい続ければ、時に真に受けて化けてくるから堪えられんよなあ。会長、社長、支社長、代表、編集局長となっても、その師を祐司と公言し、いまも祐司の旨を旨としている。祐司のいう人間万歳だ。最後に、現・社会部長の磯崎由美さんが中締めの名において、名残り尽きないお別れの会をお開きとした。

 なお、祐司の絶筆となる『ルパン文芸創立二十周年記念誌』の会場販売で、74冊のお買い上げを頂きました。ありがとうございます。ルパン文芸は祐司晩年の心地好き居場所でした。同人9人が参加しています。南無

献杯(牧内節男さん)=B1:毎日ホール=

大住広人