集まりました

2017年10月10日

ロッキード事件社会部取材班

 写真を見て下さい。前列中央は当時の社会部長牧内節男さん(92歳)。ロッキード事件発覚直後に論説委員から現場復帰した。ドクヘン(独断と偏見)部長、50歳だった。

 その右が取材班のキャップ澁澤重和さん(77歳)。逮捕予定稿をどれほど書かされたか。紙面展開、特集の紙面どり、取材費の予算要求など一切を取り仕切った。取材班の動きを克明に、誰が何をしゃべったまで一字一句大学ノートに記録。それがアンコとなって『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社1977年2月刊)が生まれた。

 『全行動』のアンカーを務めたのがナンパ記者瀬下恵介さん(牧内さんの左、79歳)。ロッキード事件の起きた1976(昭和51)年の元旦社会面から連載「大都会の日々」第1部ホテルで、を始めた。「ニューズウィーク」日本版初代編集長。

 前列左端堀一郎さん(76歳)。米上院チャーチ委員会の議事録を、お隣の丸紅広報部からいち早く入手、その議事録が資料分析班の吉川泰雄さん(78歳)と寺田健一さん(76歳)=後列左から2,3人目=に渡って、いくつもの特ダネが生まれた。

 後列右端の板垣雅夫さん(75歳)、その左中島健一郎さん(72歳)は、澁澤キャップの特命取材班。「中板コンビ」が、国内取材でどれだけ特ダネを放ったか。草野靖夫さん(2012年没72歳)も航空に詳しく、有力な取材メンバーだった。

 その左は英語使いの中村恭一さん(74歳)。『全行動』裏表紙にあるロ事件の大がかりな構図。それを逐一解説しながら黒板に描いた。事件の途中で四方洋さん(2016年没80歳)とともにモントリオール五輪の特派員。

 前列右端は、沢畠毅さん(78歳)。田中角栄元首相が逮捕されたとき、本社主催の都市対抗野球大会の社会面取材キャップだった。球場内の放送室へ行って、「田中逮捕」のニュース速報を場内放送で流すよう交渉し、観客のどよめきをナンパ面に送稿した。

 後列左端が堤哲(75歳)。警視庁公安3課(右翼担当)で児玉誉士夫の動静取材をしているうちに「児玉担当」となって、『児玉番日記』(毎日新聞社1976年刊)のアンカー。取材班の遊軍的立場で、全日空だ、丸紅だ、と取材に出された。

 10月7日(土)新宿に集まって、2時間の旧友会。マスコミ塾「ペンの森」を主宰する瀬下さんが「95年設立以来、マスコミ各社に500人を送り出した。ただ、最近はマスコミ志望者が減っているね。存続の危機だ」。菅官房長官の会見で一躍有名になった東京新聞望月衣塑子記者も出身者だそうだ。

 最後に立った牧内さんの話に迫力があった。昨年、事件発覚40年の機会に事件の本筋を知る某大物にインタビューを試みた。「ロ事件の本質はトライスターでなくP3C。それを証言してもらいたかったが、結局口を開かなかった」と語った。まだ特ダネを狙っている記者魂に、一同呆然、ア然。一拍置いて感嘆の拍手だった。

 この取材グループが1991年軽井沢72でゴルフに興じたときの写真が出てきた。

前列左から2人目から牧内節男、堤哲、沢畠毅。後列左から板垣雅夫、寺田健一、瀬下恵介、澁澤重和、吉川泰雄。

 皆、若かった。

(堤 哲)