集まりました

2020年2月11日

いっぱい集まりました、田沼武能さんの文化勲章受章を祝う会

文化勲章を下げて壇上からカメラを向ける田沼さん。右は敦子夫人。
挨拶は細田博之衆議院議員(「日本写真保存センター」設立推進連盟代表)

 写真家田沼武能さんは、毎日新聞東京本社のあるパレスサイドビルに長いことオフィスを構え、毎日新聞社との行き来も多く、お隣さんの付き合いだった。

 その田沼さんが写真家として初めて文化勲章を受章し、祝う会が2月10日帝国ホテル富士の間(定員1千人)で開かれた。

 田沼さんといえば、トットちゃん。黒柳徹子さんは1984年にユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使となって以来、アフリカ、アジアなどの各国を毎年欠かさず訪問しているが、カメラマンとして同行しているのが田沼さんだ。

 黒柳さんは「私は芸能生活60年ですが、田沼さんはカメラマン70年。先ほど細田博之衆院議員が主賓の挨拶をされましたが、田沼さんは壇上からカメラを向けていました。いつまでも現役でいてください」とユーモアたっぷりに挨拶した。

 田沼さんの挨拶もユニークだった。「何故、この日を選んだのか。2月11日建国記念日は結婚記念日。で、その前日にと思いました」

 敦子夫人は1953年生まれだから、2回りも年齢が違う。「向うの両親が許してくれない。すでに両親とも亡くなりましたが、受章を喜んでくれていると思う」と話すと、脇の敦子夫人が目頭を押さえた。

にこやかに田村武能さんと丸山昌宏社長

 田沼さんは、2月18日が誕生日で91歳を迎える。日本写真家協会第5代会長。「初代会長木村伊兵衛、2代目渡辺義雄、3代目三木淳、4代目藤本四八会長を継ぎました」と、スラスラと名前が出てきた。ちなみに6代目は熊切圭介、現7代目は野町和嘉会長だ。

 「サムエル・ウルマンの詩『青春』ではありませんが、年齢は関係ないんです。今がシュン(旬)なのです」

 雅楽の東儀秀樹、母親の九十九さんら3人による「ジュピター」「仰げば尊し」の演奏で始まったこの祝う会。参加者だれもが、田沼さんの「元気」にあてられた感じだった。

 毎日新聞社からは写真部長を務めたこともある丸山昌宏社長と、写真映像報道部の平田明浩部長らが出席した。

 丸山社長は、この会の発起人でもある。毎日書道会の書家矢萩春恵さんも発起人の1人だった。

(堤  哲)

2019年12月23日

絵画同好会「逍遥会展」

 絵画同好会「逍遥会(しょうようかい)」の展覧会が2019年12月2日から20日まで、ビル1階「ティールーム 花」で開催しました。

 過去、社から補助を受け先輩の方々から引き継がれた当会ですが、22年間同好会「逍遥会」として自主運営で続けています。また、退職後も自由に参加できる会です。

 今回は、水彩、油彩、テンペラ油彩、ガラス絵、鉛筆画、立体と多岐にわたりました。私は油彩で「伊豆下田」と「静物」を出品しました。

 毎年、現役の中林透・会長(情報編成局情報編成総センタービジュアルG)から参加の呼びかけがあり、今回から、木村文香さん(同)が参加してくれました。

 初日の取付け後、1年ぶりにOB、現役の皆さんが顔を合わせ、元会員、取付け作業を手伝ってくれた人、会の応援団の皆さん方と飲み会で親睦を深めました。

 皆さんの参加をお待ちしております。中林まで(03-3212-1649)。

木村文香「バーバラ婦人の肖像」(模写)=テンペラ油彩
中林透「森の径」=水彩画
中林透「大山巌騎馬像 北の丸公園」=鉛筆画
菊地義正「立冬立春」=水彩画
菊地義正「風景」=水彩画
松田宏一「散策」=ガラス絵
今野当夫「静物」=油彩画
今野当夫「伊豆 下田」=油彩画
田原ツトム「星座時計」と「海へ」=立体

(元制作部・今野当夫)

2019年12月7日

論説 OB会を開催

 今年も恒例の論説OB会が11月25日夜、東京パレスサイドビルのアラスカで開かれ、北村正任元委員長(毎日新聞社名誉顧問)をはじめOBの皆さん計23人が出席した。現役の論説委員も仕事に区切りをつけて参加し、交流を楽しんだ。

 昨年のOB会以降、阿部汎克さん(1月13日死去)、首藤宣弘さん(5月20日同)、菅沼完夫さん(8月25日同)、山野寿彦さん(9月28日同)の4人が他界された。会のはじめに、皆さんのご冥福をお祈りした。

 北村元委員長のご発声により乾杯、全員で集合写真を撮影した=写真。

 OB会は、韓国政府が、日本政府に破棄を通知していた日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を一転して当面維持する方針を決定した直後の開催となった。現役最年少の大貫智子編集委員が戦後最悪と言われる日韓関係について説明した。

 懇談では、それぞれの近況報告ばかりでなく、「安倍首相に退陣勧告の社説を書くべきだ」といった現役論説委員へのリアルな注文も。

 「また、来年お会いしましょう」。小松浩主筆の中締めで散会した。

(前田 浩智)

2019年11月22日

添川光一さんのお別れ会に109人

 東京本社広告局長、常務取締役東京本社代表広告担当、毎日広告社社長、会長などを歴任し、8月31日に92歳で亡くなった添川光一さんのお別れの会が、11月14日(木)毎日ホールで行われました。元電通社長の俣木盾夫さん、朝比奈豊会長をはじめ、社内外から109人が出席しました。

献杯の音頭をとる春日桂太郎さん
添川さんの遺影に献花する参会者
弔問に訪れた大島衆院議長(前列中央)、両隣は遺族。後列左から石井毎友会会長、朝比奈会長、手塚取締役

 冒頭、発起人代表の手塚泰彦毎日新聞グループホールディングス取締役が、参会に感謝の意を表しながら「直接、仕事上のご指導をいただいたことはありませんが、ゴルフと麻雀では何回もご一緒させていただきました。ゴルフも麻雀も淡々とプレーされ、マナーには厳しい方でした。その半面、ミス・ショットをした時に人間的な一面を見せていただいたこともありました」と故人を振り返りました。続いて春日桂太郎元広告局長による献杯の発声があり、会がスタートしました。

 会場には、添川さんが1977(昭和52)年に東京本社広告局長に就任されてからのものを中心に、誕生直後から最近の広告OB会まで数々の写真が飾られるとともに、大画面ディスプレイでもスライド上映されました。懐かしい画像の数々に出席者の輪ができ、思い出話に花が咲いていました。また、元日本経済新聞社常務取締役の千葉昌信さん、元毎日広告社取締役常務執行役員の髙木二郎さんから思い出の披露がありました。

 最後に、遺族を代表して添川光二郎さんが「父は、家では仕事の話はしなかったので、旅立ってから皆様のお話を聞いて、初めて仕事ぶりがイメージできるようになりました。きょうこの会場に来て毎日新聞社の家族的な雰囲気を実感しました」と謝辞を述べられました。

 また会に先立って、大島理森衆議院議長が多忙なスケジュールを縫って本社を訪れ、遺族に弔意を表されました。朝比奈会長、石井国範毎友会会長が同席しました。大島議長は1970(昭和45)年毎日新聞社に入社、4年間広告局で添川さんとともに勤務されました。

(元広告局・円谷 英夫)

2019年9月10日

ロッキード事件取材班の会開かる

94歳の誕生日を迎えたばかりの元スポニチ社長 牧内節男さんのHP「銀座1丁目新聞」9月10日号から。
「銀座1丁目新聞」 http://ginnews.whoselab.com/190910/hana.htm

 いつの頃からかロッキード事件(昭和51年3月)を取材した記者たちが集まって年に1,2度会合を開く。今年は事件が起きて43年である。事件は一向に風化しない。元総理の田中角栄が逮捕されたとはいえ流れた資金の全容が解明されていないからだ。話題になるのは『眠っている巨悪は誰か』である。幹事はいつも板垣雅夫君。集まったのは7人であった(9月2日。午後12時半集合・市ヶ谷・中華料理店)。私は会合には常に30分前到着を原則としている。中華料理店には12時に着いた。到着順序は1番中島健一郎君、一番遠い市原市から来た。2番目沢畠毅君、3番目渋沢重和君、4番目堤哲君、5番目板垣君、6番目寺田健一君であった。私の予想と全く逆であった。これまでの人柄から到着順序を判断したのだが到着順序は今の彼らの生活実態から来ているのかもしれない。私の勘も鈍ったと思った。最近『国鉄・JRラグビー物語』を出版した堤君はすこぶる元気であった。

 彼の調べによると現在、社会部OBで90歳以上は4人いる。常に会合に顔を見せるのは私だけという。だが私も10月に開かれる「社会部旧友ゴルフ会」が最後の参加になりそうだ。沢畠君が「間近なり三途の渡し秋の風」の句は淋しいといった。そこで私は「三途の川から追い返された」という話をした。今日、参拝した靖国神社でひいたくじが「三途の川には今舟がないから出直せ」という卦であった。正確に書くと「このみくじにあう人は進むに悪く川の岸に到って 舟なくまどう心に似て 物あらため またはじめること 時をまつがよい」とあった。偶然とはいえ不思議なことがある。みんなには私の心境を伝えるため予め本誌9月1日号の『安全地帯』を配った。その中にこの私の俳句が紹介されてあった。中島君は千葉県市原市で自然エネルギー村である『土太郎』(どたろう)を開発中で目下140戸のうち75戸がうまった。昨今は養蜂事業に専念している。はちみつを瓶詰めにして養蜂事業に出資した人の配当として渡しているという。コーヒータイムで聞いた彼の浅間山荘事件〈昭和42年2月〉の特ダネ秘話は面白かった。堤君が達筆で『悠々』と書かれた文字を背景に12、3人が写っている写真を示す。毎日書道展の事務局長をしていた寺田君が即座に書道会の先生に書いて頂いた書だとう。『悠々』は私の俳号である。私が80歳になった記念も兼ねた「ロッキード会」であったと思う。今でもこの書は自宅の居間に飾ってある。すでに14年。何人かはあの世に旅立った。『健康法』を聞かれて毎朝つづけている『冷水摩擦』と『くよくよしないこと』を上げた。みんなから誕生日にお祝いにバラとひまわりをあしらった花を頂いた。ひまわりは私の好きな花である。

 「ひまわりに集う侍笑顔なり」悠々

(並木 徹)

2019年8月2日

阿部汎克さんを偲ぶ会に86人

 「温かい人でした」「包容力がありました」「優しく相談に乗ってくれたのが忘れられません」

 スピーチに立つ皆さんが異口同音に穏やかな人柄を懐かしみました。2019年1月13日、87歳で亡くなった阿部汎克(ひろよし)さん。真夏の8月1日、日本記者クラブで開かれた偲ぶ会に86人が出席しました。毎日新聞の同僚、後輩だけでなく、退職後、阿部さんが力を入れた国際交流、文化交流の知人や教え子たちも集まりました。

 まず献杯に立った平野裕さんは1953年の同期入社だった阿部さんの仕事を詳しく紹介しました。

 続いて家族が振り返る阿部さんの生涯が圧巻です。語り手はフランス在住の長女、淳子さんとイギリスで暮らす二女の菜穂子さん。自宅で古いトランクを見つけ、何かと思って開けると戦後間もないころのノートや日記、卒業論文が詰め込まれていたそうです。スクリーンに写真やノート、通信簿などの資料が次々に映し出されました。戦国時代から代々医師だった家に生まれ、ランボーに傾倒する文学青年だった若い日々を淳子さんが説明します。毎日新聞記者時代の活躍ぶりは、同じ記者の道を進んだ菜穂子さんがやはり写真とともに語りました。中部報道部、東京社会部、サイゴン特派員、ジュネーブ支局長、論説副委員長と多彩な仕事が浮き彫りになりました。二人のお孫さんが「じーたん」の思い出を語ると、大きな拍手に包まれました。

 会場には阿部さんの書いた記事や取材メモ、スクラップブック、著書が並び、読みふける出席者もいました。

 外信部で一緒に仕事をした黒岩徹さんが特派員時代の裏話を披露すると、やはり外信部の後輩、永井浩さんが長い付き合いで教えられたことを話しました。元国際交流基金で跡見学園女子大学教授、小川忠さんは国際交流の現場で阿部さんの言葉に励まされた人がたくさんいたことを紹介しました。

 阿部さんはさまざまな学びの場に集う若い人の面倒をよく見たようです。インターカルト日本語学校の教員養成講座で阿部さんの指導を受けた教え子4人も、口々に「先生」と呼びかけ公私にわたり学んだ日々に感謝しました。

 最後にあいさつされた奥様の昭子さんによると、晩年のある日「何人集まるかな」とつぶやいたそうです。

 阿部さん、ご心配には及びません。阿部さんの思いと願いはご家族、教え子、後輩に引き継がれています。

(中井良則)

2019年8月1日

山本祐司さんの三回忌法要

 過日(7月21日)、社会部同人・山本祐司の三回忌法要が山本家にて執り行われ、案内受けた『新聞記者 山本祐司』編纂・刊行の会も参列、供花して在りし日をしのびました。併せて本会活動の残務整理も、これにて完了、本欄をお借りし、報告とさせていただきます。

 刊行後寄金は、会の最終報告(本年3月1日)の後、5人増えて計103人、2万6000円増の62万7000円となりました。これに基金振込み(119人290口145万3000円)、実費頒布(3部9800円増)、その他寄金を合わせると、総額217万5800円で、最終報告時より3万5800円の増となります。

 一方、支出は、最終報告時に計上した留保分(2万7340円)を取り崩し、この間に生じた配送費(見直し含む)、振込み手数料負担の増に振替え、総額184万2246円となり、差引残高は最終報告時より3万5976円増の33万3554円となります。最終報告どおり、全額を三回忌法要の花代として施主口座に振込み、これをもって本会口座も閉鎖致しました。

 刊本は、印刷工程での予備分も引き取り、総部数は418部。頒布は、最終報告時の364部に加え、各方面に謹呈するなどして、三回忌終了時で、基金振込み119部、寄金要請付151部、実費19部、謹呈108部(親族等26部、公益機関61部、個人21部)、総計400部。残り18部は、事務局有志で分散保有としました。今後しばらくの間の連絡は高尾(090-1500-8740)まで。

(記・大住広人)

2019年6月8日

東京写真部OB会に丸山社長ら18人

 毎年恒例の東京本社写真部OB会が6月8日(土)午後1時からパレスサイドビル1階の喫茶「花」で開かれた。

 最長老は88歳の中西浩さん(この毎友会HPトピックス《元写真部長中西浩さんの撮影写真から「ひばりヶ丘55年」》参照)。

 昨年亡くなった関根武、三矢元城さん(2人ともこの毎友会HP追悼録参照)に黙祷をしたあと、喜寿のお祝いを受けた永田勝茂さんが乾杯の音頭をとった。

 この会の特徴は、かつて写真部長をつとめた丸山昌宏社長が出席すること。丸山社長は毎日新聞グループホールディングス(GHD)の社長に就任することになっており(6月25日の株主総会後)、「2022年の創刊150年に向けて、毎日グループ全体の発展を図りたい」と抱負を述べた。

 続いて4月1日付で写真映像報道センター長に就任した長尾真輔さん(88年入社)、平田明浩写真映像報道部長から写真部現況報告。6月1日付紙面で安保久武特派員撮影のヘルシンキ五輪を1ページ特集したが、7月1日はメルボルン五輪特集。2020年東京五輪・パラリンピックに向け準備を進めていることを明らかにした。

 参加者の近況報告では、まず江成常夫さん(82歳)。「在社12年で退社した私に毎日芸術賞のごほうびをくれた(1995年、「まぼろし国・満州」「記憶の光景・十人のヒロシマ」の写真展と出版に対して)。毎日新聞は温かい会社です。土門拳賞もいただきましたが、この賞は毎日新聞創刊110年記念で私が提案して創設されたものです」

 近く写真集『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』(小学館、@4,600円+税)を出版するとともに、同写真展を7月23日~8月19日、ニコンプラザ新宿で開く。

 江成さんの入社1年先輩の大住広人さん(82歳)。「現像・定着液づくりが大変で、カメラもなかなか持たせてもらえなかった」と徒弟制度時代の写真部の思い出をフォローした。大住さんは、毎年、京都からはるばる出席するよき先輩である。

写真、前列左から永田勝茂、中西浩、丸山昌宏、大住広人、滝雄一。
中列左から中村太郎、荒牧万佐行、三浦拓也、栗山増夫、江成常夫、渡部聡、山田茂雄、木村滋、黒川将光、堤哲。
後列左から伊藤俊文、平田明浩、長尾真輔、横井直樹、橋口正。(敬称略)

(堤  哲 )

2019年6月5日

千葉旧友会総会 会員減少の難題に対応策を模索

 千葉旧友会の「令和元年度定期総会」が6月2日、千葉中央区の形成ホテル・ミラマーレで開催されました。総会が始まる前、隣の部屋では7月の参議院選挙に向けた保守系ベテラン議員の選対会議が開かれていた。あちらは「これから戦おうという」血気盛んな連中。歳はとってもこちらは元気な高齢者。93歳の折茂仲次郎さん、92歳の本田克夫さんをはじめ、県内各地から20人の会員が足を運んでくれました。

 総会は作田和三事務局長の司会進行で始まり、物故会員に対して黙とうを捧げた後、平成を最後に4年間の会長職を務め退任した齋藤修会長があいさつ。「令和新時代に入り、千葉旧友会のこれまで以上の活性化を期待する」と、運営を吉村建二新会長に託した。協議事項は平成30年度会務報告、会計報告などが行われ承認された。

 続いて会員の一人で先の市議選で5期目当選を果たした船橋市議会議員の中村静雄さんがお礼と、議員活動に尽力する決意を述べた。新任の鮎川耕史・千葉支局長も社の現状説明やこれからの支局活動への抱負を語り、会場は頑張るOB、現職の言葉に刺激を受けていた。

 懇親会では酒を交わしながら、新時代の千葉旧友会の在り方について意見を出し合った。「運用内容を含めマンネリだ。酒を飲むだけではだめだ」「集まる会員が少人数になっても旧友会は継続してほしい」「本社からも首都圏唯一のOB会組織への期待は大きい」など、厳しくも愛のある声が寄せられた。中でも、会員の減少化傾向については「会員の範囲を県内在住者に限らず、県内に想いを持つ人ならだれでも参加できるといい」との声もあり、役員会では真剣に会員減少への対策を検討していくことを確認した。

総会参加者は次の通り(敬称略)

折茂仲次郎、齋藤修、本田克夫、鮎川耕史、青木靖夫、伊藤隆、伊藤匤、岡田弘志、尾形忠義、河内孝、作田和三、佐藤和子、滝川徹、鳥井輝昭、中島章隆、中村静雄、橋口正、藤城幸一、深山健一、吉村建二

(吉村建二)

2019年2月28日

2・26「ゆうLUCKペン」第41集刊行記念

 2月26日午後1時半~竹橋パレスサイドビル9階「アラスカ」で、社内同人誌「ゆうLUCKペン」第41集の刊行記念パーティーが開かれた。

 いつもは、開会即記念撮影で、帰りには、その記念写真を持ち帰っていただいているが、ことしはマラソンランナー大島幸夫さん(81歳)が健診結果の出る日とぶつかって、30分ほど遅刻した。「不整脈があるといわれての検査でしたが、問題ないとの結果でした。これで晴れて4月15日のボストンマラソンに出場できることになりました。完走すれば最高齢になると思います」と、全員の1分スピーチでこう述べた。

 公務員ランナーからプロとなった川内優輝選手(昨年の優勝者)も出場する。大島選手の健闘を祈ろう!

 大島さんは、写真の前列右から2番目。以下敬称略で、右端は大住広人、大島幸夫から左に倉嶋康、本田克夫、堤哲、今吉賢一郎、松尾康二。

 後列は、右から松崎仁紀、北村勝彦(毎栄)、神倉力、渡辺直喜、松上文彦、諸岡達一、横山敏彦、前田康博、福島清彦、半田一麿、高尾義彦、石塚浩、野島孝一、中谷範行。

 計22人。もうひとり大住さんがお孫さんを連れてきたが、写真には入っていない。「付け馬だよ」と大住さん。「おじいちゃんは、頭から血を流して帰ってきたこともあるんだから」とお孫さん。この付け馬、酒を控えて!の娘さんの配慮だったらしい。

 さて、この同人誌の編集を1人でやって、この刊行記念パーティーも仕切り役のモロチャンマン諸岡達一さん(82歳)。中締めの「来年も2・26パーティーはやりましょう。『ゆうLUCKペン』は発行されるか分かりませんが」という挨拶に、参加者は猛反発。

 最長老本田克夫さん(92歳)は「お金の不足分は皆で出し合えばいい。廃刊は惜しい。編集が大変なら、私がやってもよい」など、前田康博さん(82歳)らが次々に「継続」発言。結局、ガリ版刷りになっても、で第42集は発行されることになりました。

 最後に、同人・会員の皆さんにお願い。『ゆうLUCKペン』第41集に振込用紙が入っていたはずです。年会費の振り込みをお願い致します。振込の金額を増額して、寄付していただけるとなおありがたい! これは虫がよすぎますかね。

 新会員も募集中! 誰でも入れます。年会費5千円です。

事務局中谷範行 まで。

(堤 哲)

2019年2月18日

他社の記者らが5人も参加した「長野会」

 半世紀以上も前に信州で仕事をした記者たちの「長野会」が2月12日(火)日本プレスセンタービル10階のレストラン「アラスカ」で開かれた。

 毎日勢だけでなく、朝日、読売、NHK、東京(中日)のOBも参加して計17人。

 まず発起人を代表して大島幸夫さん(81歳、元日曜版編集長、ファッション記者・毎日ファッション大賞審査員、マラソンランナー)が挨拶。最長老倉嶋康さん(86歳、元長野支局長、スポニチ長野支局の初代支局長、1998長野冬期五輪組織委委員)が乾杯の音頭をとった。

 「オレ、あなたのオヤジが市長しているとき、NK(NHK長野放送局のコールサイン)にいたんだ」と元NHKの荒井清さん(84歳)。

 「善光寺の御開帳が2回目って嘆いていましたネ」と、県政記者クラブで一緒だった黒岩徹さん(78歳、元ロンドン、ワシントン特派員、東洋英和女学院名誉教授)が茶化す。御開帳は数え7年に1度だから、荒井さんは6年以上、倉嶋至長野市長は1962(昭和37)年12月退任だから、それ以前から長野勤務だったわけだ。

 しばらくして全員が自己紹介を兼ねた現況報告。朝日新聞の大熊一夫さん(81歳)。『ルポ精神病棟』は30万部のベストセラーとなり、2017年には監督としてドキュメント映画「精神病院のない社会……監獄型治療装置はいらない!」を製作。全国で上映会が開かれている。『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本』(岩波書店)も好評だ。

 詳しくは http://okumakazuo.com/ へ。

 「毎日対朝日で野球の試合をやりましたねぇ」と大熊投手は懐かしがった。

 読売新聞OBの寺村敏さんは、現役の舞踊ジャーナリスト。バレエ界では、かなりの顔なのだという。松本深志高校―明大工学部からの変わり種。「長野支局には4年いました。中御所のアパートで、米ちゃんと一緒でした」。

 その米山郁夫さん(82歳)は中日新聞の支局にいた。黒岩夫人の千鶴子さんと早大文学部(美学)で同級生だったというから不思議だ。「3年ほど前、脳梗塞をやりましたが、今は元気です」。

 NHKの清水(旧姓宮内)保雄さんは、元中野市議会議長。ネットで検索すると、2005年に議長に就任したときの挨拶が写真付きであった。県警クラブでオイチョカブやコイコイにうつつを抜かしていた同一人物とは、とても思えない。

 もうひとり外部からの参加者は飛田紀久子さん。農協中央会の広報を担当していたマドンナ。独身記者たちの憧れのマトで、経済記者クラブ担当の希望者が多かった?

 飛田さんは別の用事で遅れたが、大島発起人代表は「マドンナ不在で開会は出来ないよ」とマドンナの到着を待った。

 毎日の参加者は、他に元英文毎日半田一麿、元サンデー毎日編集長小川悟、元政治部長・論説委員長・専務取締役長崎和夫、写真家の清水盟貴(70歳、最年少)、それに飛び入り参加の元長野支局デスクの横山敏彦、諏訪清陵高校出身で長野支局員だった中谷範行の各氏と、小生(堤)。

 今回、恒例の「信濃の国」の合唱はなかった。しかし、信州を愛する気持ちは誰も変わらない。黒岩夫妻は昨年、南アルプス「下栗の里」へ行った。「長野支局にいるとき、下栗には車道がなく、歩いてしか行けないのに、テッペンには車が走っているという話を聞いた。いつか行ってみたいと思っていた。日本のチロルと呼ばれているが、信州にはまだこんなところが残っている。感激した」。

写真は、前列左から清水盟貴、米山郁夫、飛田紀久子、大熊一夫、倉嶋康、荒井清、小川悟、半田一麿。後列左から清水(宮内)保雄、寺村敏、黒岩千鶴子、横山敏彦、長崎和夫、大島幸夫、黒岩徹、中谷範行、堤哲。(2019年2月12日、プレスセンタービル10F「アラスカ」で。)

(堤 哲)

2018年12月17日

論説 OB会を開催

 毎年恒例の論説OB会が11月29日に東京パレスサイドビルのアラスカで開かれ、北村正任元委員長はじめOBの皆さん約20人が出席、現役の論説委員20人との交流を楽しんだ。

 昨年のOB会以降、小池唯夫さん(昨年11月30日)、原田三朗さん(同12月24日)、藤原信一郎さん(今年2月13日)、松本博一さん(同5月3日)、岸井成格さん(同5月15日)、石丸和人さん(同10月6日)が他界された。

 特に社会部出身の原田さんは昨年11月のOB会に娘さんの押す車イスで元気に参加されたが、その半月後に急に体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。冒頭で皆さんのご冥福をお祈りし、来年もまた健康で集まれるようにと集合写真を撮影した。

 今年のトピックは、1997年3月に論説室で在職死亡した野口昇さんの遺児3人(女性2人、男性1人)をゲストに迎えたことだ。3人は父の野口さんに続き数年後に母親も亡くしたため、長崎和夫元委員長らが時折3人に会って励ましてきたという。それぞれ自立している3人に、かっての同僚たちがいたわりの言葉をかけた。

(古賀 攻)

2018年11月28日

千葉旧友会・秋の総会はバスの旅

 千葉旧友会・秋の総会は11月25,26日の2日間県内北総地域の香取、潮来、鹿島から小江戸として知られる佐原をめぐるバスの旅を楽しんだ。

 JR千葉駅前を出発。車内はウキウキ気分で1日目の旅が始まった。千葉の市街地を走り抜け一路、成田市内から神崎町へ。利根川沿いに車窓から見る田園風景はすっかり晩秋の装い。小腹が空いたころ、バスは道の駅「発酵の里こうざき」に到着。

 地元醸造会社が経営する食堂で珍しい発酵定食を味わった。しばし休憩のあと、香取神宮へ。静寂に包まれる参道を進むと、黒塗りを基調として荘厳な拝殿、樹齢1000年を超える御神木の大杉などに心洗われる思いで参拝を済ませた。

 宿泊先の潮来のホテル。季節のアンコウ鍋に舌鼓。酔いが回るほどにカラオケによる歌合戦も。満足のうちに宴会場を部屋に移し、歳を忘れるほどに遅くまで笑いが絶えなかった。

 翌2日目は利根川を渡り茨城県の鹿島神宮を参拝。境内で飼育する約30頭の神鹿の愛らしい動きに癒された。

 旅の最終地は佐原。老舗のうなぎ屋で昼食。絶品のうな重を味わい腹を満たした後は市内を散策。小野川沿いに建ち並ぶ伊能忠敬の旧宅や醸造蔵など、江戸時代の街並みは人気だ。われわれも海外からの観光客に交じって、しばし散策を楽しみ平成最後の旅を終えた。