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2023年7月12日

「SUNDAY」生みの親・故永井源康さんを「偲ぶ会」

 本年2月1日、80歳で逝去された「SUNDAY」生みの親・故永井源康さんの「偲ぶ会」が5月13日、北九州市小倉で開かれた。「SUNDAY」とはフリーペーパーSUNDAYにチラシを折り込んで全戸にポスティングする事業体の総称のことである。会には田中健治、堀法光、佐藤明、福田孝志・毎日メディアサービス社長、上村祐幸・毎日メディアサービス山口社長、淵上忠之と、両毎日メディアサービス幹部5名、創業時からポスティングを支えている金田茂・ライフネット社長、故人の長女・永井心さんの13名が集まった。19年前、「SUNDAY」に着手した永井さんの先見性と、事業を拡大していった経営手腕に敬意と感謝を込めて思い出話に花を咲かせた。

 永井さんは1962年毎日新聞社に入社、発送部から販売部を経て1997年、下関毎日オリコミの社長に就任。その後、山口県内の4折込会社を併合し2000年6月、山口県毎日折込広告株式会社を設立した。

 この頃から新聞の発行部数は減少期に入り、一方インターネットの急速な普及で広告媒体が多様化していく現状を見て、新聞折り込みの将来に大変な危機感を覚えた永井さんは新規事業を数件手掛けた。そのうちの1件が「メール便」だったが、メール便の取り扱いは仲介業で、安定性に欠けるなどの問題点もあった。自ら価値を生み出し、新聞折り込み業に相応しい事業はないかと模索していた丁度その頃、田中健治・毎日メディアサービス会長(当時)から「フリーペーパーにチラシを折り込んで全戸にポスティグする組織をつくってみないか」との提案があった。

 早速、山口折込の幹部を集め、新しい事業への取り組みについて協議に協議を重ねた。全く経験したことのない未知の世界への挑戦だった。ある日は朝から晩まで、又ある日は日常の業務を終えたあと徹夜で対策を講じた。第一義的に考えたのは「モノづくり」の原点である「スポンサーに信頼される商品」「スポンサーが満足する商品づくり」だった。チラシを指定された地区・期間に確実・丁寧届け、配布結果や指定された地区の世帯の動向等きめ細かいスポンサーへの報告など正確性・透明性・信頼性を重点においた精度の高い商品創りの議論に徹した。

 永井さんの強力なリーダシップのもと、この事業が「会社を救う、将来の山口折込の姿だ」という熱い思いを持った山口折込の幹部の血と汗と英知の結晶として、2004年10月「(有)サンデー新聞社」を設立。下関市内一円10万部の週刊フリーペーパーSUNDAYを創刊し全戸にポスティングした。チラシをフリーペーパーに折り込み、全戸にポスティングするという毎日グループでは初めての「新しいビジネスモデル」の誕生となった。

 発刊と同時に、同業他社からの強烈な圧力や内部の一部からも「ポスティン事業は時期尚早だ」という声もあった。がこれに屈する永井チームではなかった。

 下関市内での「SUNDAY」の運営のノウハウをマスターし「成功への道筋」が見えた3年後の2007年に、山口県内の防府市・周南市に拡大すると同時に北九州市(東版)に進出した(同年、毎日メディアサービス専務を兼務)。「SUNDAY」が軌道に乗るまでには運転資金・初期投資・初期費用が必要であることを予定していた永井さんは、創業時は「(有)サンデー新聞社」からスタートし、2年後に「(株)サンデー新聞社」へと発展させた。2009年10月には山口県と北九州市全域で発行した「SUNDAY」の経営が安定期に入ったと判断し、サンデー新聞社と毎日メディアサービス山口(旧山口県毎日折込広告株式会社)を合併させた。この合併によって、初期投資の経費等を経理上のルールに従って処理した。

 その後、2010年10月に「北九州3版」を毎日メディサービスに権利譲渡。山口県では宇部市・山口市とエリアを拡大し山口県全域に広げ、北九州市も南版・西版を追加発行し全地区を網羅した。

 毎日メディアサービス山口、毎日メディアサービスに編入された「SUNDAY」は両社の経営に大きく寄与することになった。

 コロナ禍で広告業界も大打撃をうけた。特に西部管内の折込会社は「系統別配送」のため、発行本社の販売部数の減少は致命傷となり悪戦苦闘している。某全国紙系列の折込会社は3年続きの赤字経営でその存続が危ぶまれている。毎日系の両折込会社とも厳しい経営を強いられているが「SUNDAY」の収益が毎日メディアサービス山口では70%、毎日メディアサービスも55%を占めているため黒字経営を堅持している。この両折込会社とも健全経営が出来ていることは、西部販売店の大きな支えになっている。

(淵上 忠之)