2024年10月31日
社会部旧友会に80人、牧内節男さんの白寿を祝う
東京本社の社会部旧友会が10月26日(土)午後1時から、東京都千代田区の日本記者クラブで開かれた。開催は9年ぶり。元西部代表の牧内節男さんが今年8月に99歳の白寿を迎えたことのお祝いも兼ねて80人が集い、懐かしい再会の場となった。今回は、佐藤敬一東京社会部長とOBの発起人7人と世話人4人で運営した。堤哲・発起人の司会で進行した。
冒頭、前回2015年開催以降に亡くなられた皆さんのご冥福をお祈りし全員で黙祷。今年4月に着任した佐藤東京社会部長が現状を報告し、「先輩方の伝統を引き継ぎ、社会部をさらに盛り上げたい」と挨拶した。
続いて牧内さんの白寿祝いに移り、森浩一・元社会部長が登壇。戦後に国鉄の下山定則総裁が轢死体で見つかった下山事件や三鷹事件、松川事件にふれ、「牧内さんたち社会部の若い記者はベテランに交じって取材に当たった。困難極まりない事件取材を通して、戦後の新しい東京社会部の骨格が形成された」と述べた。さらに、「牧内さんは、官僚にっぽん、皇太子妃報道、組織暴力の実態、政界の黒い霧キャンペーン、ロッキード事件にかかわり、黒い霧では吉野正弘、山崎宗次、森浩一、愛波健が執筆陣で担当デスクが牧内さん。夕刊番が終わると当時の麹町寮に現れて『おう、できたか』と声をかけた。そんな情景を今でも思い出す。牧内さんが社会部長として指揮を執ったロッキード事件報道の成功は、大きな頂の一つだった」と振り返り、「牧内さんはかつて『俺は120まで生きる』と言われていたが、120歳と言わず、それを超えてますます元気にしていかれることを願っている」とお祝いの言葉を贈った。
これを受けてマイクの前に立った牧内さんが「今の話はその通りで、それに付け加えることはないですね。非常に優秀な社会部長であったということは間違いないことであります」と笑顔を見せると、大きな拍手が沸いた。健康法として「僕は時代小説しか読みません。今読んでいるのは(坂岡真の)『一分(いちぶん)』を丹念に読んでいる。それ以外は、朝晩の乾布摩擦を戦後からずーっとやっていて風邪は引いたことがない。それが健康の秘訣だ」と紹介。「東日印刷元社長、陸士59期の同期生(奈良泰夫)に『130歳までオレは生きるよ』と言ったが、今はそんな元気はない。せいぜい110歳ぐらいまで大丈夫なような気がする」と話し、改めて大きな拍手が沸いた。社会部で長く庶務を務めた國井道子さんから花束が贈られた。
乾杯の音頭は、朝比奈豊元会長。最近の社会部の活躍ぶりを紹介し「袴田事件の無罪判決翌日に、検証紙面を掲載し坂口佳代編集局長の『おわびします』を載せたのはよかった。朝日新聞は無罪確定時になって追随していた。公安捜査の調査報道にも『こんなことがあったのか』と感心して読んだ。社会部は今も輝いている」と現役をたたえ、全員で杯をあげた。続いて懇談に入り、会場のいくつの場所で歓談の輪が広がった。歴代の社会部長も次々を登壇し、各時代の思い出を語った。
最後に、丸山昌宏前会長が「私は警視庁2課を担当したが、本日はこのようにたくさんの先輩に囲まれた充実した会だった」と感想を述べて中締めの音頭を取り、一本締めで締めくくった。最後は全員で集合し、記念撮影をして笑顔で会場を後にした。
(文は大坪信剛、写真は金塚祐司)