2025年5月19日
旧システム部の仲間12人が集まりました

前列左から斎藤光紀、澄川達夫、三村泰史、松沢一憲、忠保毅
後列左から海老名富夫、亀田昇、上野孝、西方和夫、川畑亨一、宮野修、平井範郎
後列左から海老名富夫、亀田昇、上野孝、西方和夫、川畑亨一、宮野修、平井範郎
2025年5月13日、旧システム部の同人が久しぶりにパレスサイドビルのニュートーキョウに集まりました。
昭和30年代の新聞社では数台の会計機が動き、次いでPCS(パンチカードシステム)で経理、賃金・給与等の計算処理を行っていました。41年9月のパレスサイドビルへの移転に合わせて、国内でもほとんど導入されていなかった最新鋭の「IBMシステム/360(16K)」が設置されました。
当時10代、20代で初めての経験、手探り状態でのシステム化とプログラム開発、テストと文字通りの不眠不休で、何とか10月の賃金を支払うことができました。
対象の業務も全社の総務、経理、販売、広告、出版等の各局に広げ、さらに世論調査(選挙予測)、高校別大学合格者集計、本支社へのオンライン展開、発送業務の自動化支援など対象分野は広がる一方でした。この間組織の名称も機械計算課、電子計算課、システム部と変遷。最盛期には男性、女性(主にキーパンチャー)で50名近くの大所帯でした。
集まった面々はコンピュータシステム導入時に苦楽を共にしたメンバーです。
年相応の風貌になりましたが、近況や昔話を語り合い、食べて、飲んで楽しい時間を過ごしました。
出席者は、80歳代が澄川達夫、斎藤光紀、三村泰史、70歳代が忠保毅、松沢一憲、宮野修、平井範郎、川畑亨一、海老名富夫、上野孝、西方和夫、60歳代が亀田昇(敬称略)
(斎藤 光紀)