元気で〜す

2022年3月16日

葉山の通学路で「子ども安全みまもり隊」5年半の板垣雅夫さん

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赤い帽子、黄色の旗を持った「子ども安全みまもり隊」の板垣雅夫さん
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背中に「みまもり隊」のワッペン

 自宅近くで小学生たちの帰宅の見守り活動をしている。そのことを毎日新聞OB同人誌「ゆうLUCKペン」の最新号(2022.2.26)の会員消息欄に次のように書いたところ、何人かの先輩から連絡をいただいた。

 「神奈川県の通学路で5年ほど学校帰りの小学生の見守りをしている。父親が英米仏、母親が中韓の子がいる。『イタガキさんが赤い帽子で立っていると安心する』。エリス君たちの声を耳にすると、活動をやめられない」

 これだけの文章だが、先輩たちからは、よく頑張っている、というお褒めの言葉だった。それがきっかけとなり、この欄にも書かせていただくことになった。

 見守り活動は5年半ほど続いている。74歳になり、非常勤を含むすべての仕事を辞めた時、運動のためにと毎日、散歩を始めた。それを見ていた町内会の役員さんから「どうせなら、防犯活動の赤いチョッキを着て歩いてください」と頼まれた。それだけならいいよ、と引き受けたが、それだけではなかった。いつの間にか「子ども見守り活動隊」の一員にさせられていた。

 放課後の小学生の帰宅見守りである。地域には、お寺とお墓、畑に囲まれた狭い道がある。直線にして約400メートル。昼間、大人でも歩くのは気持ちが悪い。学校指定の通学路ではないが、200戸と300戸ほどの2つの住宅地へのショートカットとなっているので、子どもたちの利用は多い。

 学校が終わる午後2時半から午後4時すぎまで、その道で見守り活動をしている。一般の方々や中学生らも通行するが、見守り対象の小学生は20数人だろうか。赤い帽子に赤いベスト、緑の小旗を持って立ち、「こんにちは」「お帰りなさい」と必ず声をかける。子どもたちは最初は警戒して反応してくれなかったが、1年もたつと顔なじみになった。

 びっくりしたのは、こんな気持ちの悪い道を小学校1年生の女の子が1人で帰っていることだった。雨の日、どんよりと曇った日、雪の日、ランドセルが身体の半分もあるくらいの子がチョコチョコと歩いている。悪い人に声をかけられたら、どうしようもない。家族はずいぶん勇気があるなと思いながらも、自分が見守らなかったら大変なことになる、と背筋が寒くなった。

 そこで、ほぼ毎日、見守り活動をした。目が離せなくなったのだ。昨年春、記録を調べると、過去1年間は学校開校日の93%、つまり10日に9日以上、ヒナちゃんやアイリちゃん、硫丸や音吉たちを見守り続けた。その後、シンドクなり、いま私は週3日、三菱銀行OBの方が週1、スペイン人の元語学教師と日本人の奥さまが週1と分担を決めた。

 もう1人、曜日を決めずフリーで動いている男がいる。私の大学学部の10年後輩で、私に向かって「ボランティアは、お互い、罪滅ぼしですね」と言った。私は、お互いは余分だと思ったが、黙っていた。多少はそういう面があるかもしれない。

 活動を続けていると意外な効能に気が付いた。1つは、子どもの母親たちから、しょっちゅう声をかけられることだ。通りがかつた車の女性から手を振られることは日常茶飯事だ。やはり少しは若返る。もう1つは、夜眠る時、子どもたちの行動や言葉、表情を思い出し、ニヤニヤしながら眠りにつくことができる。嫌なことは一切、頭に浮かばないのだから、これは、すごいことである。

 最近、気がつくようになったのは地域社会のグローバル化である。小学生に日本人とのハーフの子が増えている。背の高い6年生のお姉さんとしっかりものの1年生の弟の父親はイギリス人。おしゃまな1年生の女の子の母は中国の美人。いつもランドセルを振り回している元気な2年生の男の子の母は韓国人で、その子はたまに韓国語で話しかけてくる。私が目を回しているとケラケラ笑っている。

 父親がアイルランドの小4の男の子は、ユーチューブにデビューしたとか、明日はタコ焼きパーティーだ、などと嬉しいことを積極的に話しかけてくる。

 けっして高い志を持って始めた見守り活動ではないが、いまは、やりがいを感じている。神さまがこの姿を見たら敬礼するんじゃないかな、と勝手に思ったりする。閻魔大王様に袖の下を使わなくても通過させてもらえるのではないか。今年、傘寿の身としてはそんなことも妄想している。いずれにしろ、町内会役員さんにうまく誘導されて見守りを始めなかったら、こんな思いには至らなかっただろう。

(板垣 雅夫)

 板垣雅夫さんは、昭和40年入社。元社会部・元東京本社制作局長。79歳。