2022年4月5日
毎日新聞埼玉版の短歌で年間最優秀賞に輝いた山本茂さん84歳
1964年同期入社の山本茂さん(84歳)に『七色の魔球―回想の若林忠志』(ベースボール・マガジン社1994年刊)という著書がある。
先日、仙台の野球史を研究している野球文化學會の会員から「1945年10月28日宮城県石巻市で進駐軍対地元の倶楽部チームが試合をした。戦後最初の日米野球・石巻決戦に、若林忠志投手が出場したのだ」というメールが送られてきた。
「こんな話知っている?」と転送したら、「いま、俳句・短歌ばかりつくって毎日新聞埼玉版に投稿しています。短歌は昨年度の年間最優秀賞を受賞しました」といって、ことし1月6日付けの埼玉版を添付してきた。
短歌最優秀賞の作品は――。
韃靼の風に打たれつ父しのぶ旧開拓地の峠を越え行き
選者井ケ田弘美さんの総評。《山本さんの歌は、父の辛苦の満蒙開拓の足跡をたどっており、韃靼の風は、遠き異境の地を彷彿とさせる響きがあります》
◇
《昨年6月、ふと埼玉版の短歌欄を見て傲慢にも「この程度なら俺でも書ける」と思い立ち、3首を投稿したらいきなり第1席に入選した。すっかり気持ちよくなって続けていたら新年のお年玉をいただいたってわけです。以後、毎週、俳句・短歌を投稿しているが、俳句は同好の士が多いせいかなかなか成果は出ませんが、短歌はかなり入選率は高いようです。ただいま、5月をめどに歌集を編んでいます》
俳号「雪彦」の俳人でもある。ことし1月に連句集『海峡』(楡影舎)を出版している。
同期入社の最年長。入社式で新入社員代表として代表して支局配属の辞令を受けた。青森支局→中部・東京整理部→社会部→サンデー毎日。残念ながら一緒に仕事をしたことはなかった。
ベースボール・マガジン社で「ボクシングマガジン」の編集長。その後フリーのライターとなって、『拳に賭けた男たち―日本ボクシング熱闘史』(小学館96年刊)、『アンラッキー・ブルース―“世界"をつかめなかったボクサーたち』(ベースボール・マガジン83年刊)『カーン博士の肖像』(同84年刊)、『復活』(毎日新聞87年刊、『復活―ロッキーを倒した男』幻冬舎アウトロー文庫98年)などボクシングの著書が多い。
北海道大学農学部卒。「青年よ大志を抱け」のクラーク博士、新渡戸稲造、内村鑑三を生んだ「札幌農学校」が始まりである。
北大で同じ寮にいた学芸部OB脇地炯さん(2021年没80歳)の追悼録に、こう書いた。
《1959年春、私は北大恵迪寮に入った。60年安保の前年である。アジトめいた暗い寮の玄関脇に約300人の寮生の名札がぶら下がっている。その中に「唐牛健太郎」の名があった。木札は裏返って赤文字。「不在」の意味である。唐牛はすでに東京にあって、共産主義者同盟(ブント)の全学連委員長に擬されていることは新聞の報道で知っていた。つまり、入れ違いではあったが、私と唐牛はひととき同じ寮生であった》
◇
メールの最後に「当方、壮年のように元気です。元気だったらまた連絡をください。当分は死なないだろうから」とあった。
(堤 哲)