2022年4月18日
NPO「ライフリンク」の職員になりました、と元社会部長の小川一さん
2022年4月に「特定非営利活動法人 自殺対策支援センター ライフリンク」に就職しました。まもなく64歳になる私ですが、新人のNPO法人職員として働き始めました。応募した採用面接では「本当に、毎日新聞の小川さんですよね、小川さん、いったいどうされたんですか?」と不思議そうに聞かれました。同じ疑問を持たれた先輩方もおられたのでしょう。人生の終盤に決めた「転身」の理由を書くように薦められ、この拙文を綴ることにしました。
2021年6月に毎日新聞顧問の任期が終わり、客員編集委員になりました。入社からちょうど40年を経ての卒業でした。さて第二の人生をどうするか。大学の非常勤講師のほかメディア関係でいくつかの役職や仕事をもらっており、これを基盤に改めてジャーナリストとして活動することも考えました。これからのジャーナリストは、プログラミングの知識を含めたデジタルの高い知識とスキルが必須です。イロハのイから勉強し直そうかと準備も始めました。一方で、メディア関連の企業から営業担当としての誘いもありました。デジタルの広告やマーケティングは、メディアの全体像をつかむために、これもまた必須の分野です。過去の経験や人脈を生かせることには魅力も感じました。
そんな中、自分自身の変化に気づいた瞬間がありました。退任から1カ月ほど経った8月、20代前半の若い人たちとのオンライン飲み会に参加した時のことです。「生まれ変わったら、どんな仕事に就きたいですか」と聞かれ、「医療従事者か、人命を助けるNGO、NPOとして働きたい」という言葉が口から飛び出したのです。私はそれまでずっと恥ずかしげもなく「生まれ変わっても新聞記者になる」と言い続けてきました。ところが、この時は、自身から出た言葉に自分が驚きました。
コロナ禍の影響が大きかったと思います。医療現場の苦悶を伝えるNHKスペシャルには心底感動していました。エッセンシャルワーカーへの敬意もより強くなっていました。人生の終盤を前に、何がしたいのか、何をすべきかを改めて考え始めました。
そして、12月17日、27人が亡くなる大阪クリニック放火殺人事件が起きました。心の疲れから立ち直ろうとしていた人たちと彼らに寄り添ってきた名医を標的にした大量殺人です。容疑者とされる男性は私と同世代でした。携帯電話には1人の連絡先も登録されていなかったと報じられています。孤独孤立を深めるシニア世代の「拡大自殺」でしょうか。これは他人事ではないと強く感じました。さらに年が明けた1月27日、埼玉で人質立てこもり事件が起き、コロナ患者の治療に奔走していた医師が射殺されました。容疑者はまたも私と同世代の男性でした。同世代としても何かするべきことはないのか、と詮無いことと知りながらも、思いをめぐらせました。
2月10日のことでした。いつものように午前5時前に起き出し、スマートフォンでツイッターを開きました。最初に見たのが「ライフリンクが職員募集」のツイートでした。自殺防止に取り組む「ライフリンク」は、NHKのディレクターだった清水康之さんが遺児の取材を契機にNHKを退職して立ち上げたNPO法人です。その活動には以前から敬意を持っていました。もしかすると、何か運命的なものがあるのかも知れない、と勝手に妄想し、年齢制限がないことを確認して、その日に応募しました。筆記試験があり、二度の面接があって、採用が決まりました。
新しい職場では、広報を中心とした仕事になりそうです。ただ、電話相談、SNS相談にも関心があり、勉強していくつもりです。一般職員50人、電話・SNS相談員330人のNPOで、他の同僚はもちろん私よりも一世代も二世代も若い人たちですが、人生経験は驚くほど豊富です。海外留学や海外勤務の経験者が多く、公務員出身の人も目立ちます。心理学関係だけでなく司法書士、行政書士などの資格を持つ人も珍しくありません。NPOの底力を見る思いです。
「人の役に立つ仕事」を果たすべく、頑張りたいと思います。応援していただければ幸いです。
(小川 一)
※小川一さんは社会部長、編集編成局長、取締役デジタル担当など歴任。現在、客員編集委員。