元気で〜す

2022年7月22日

喜寿の元編集事務部、福島稔さんが「浅間山荘事件」取材本部を支えた思い出を

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 私は、毎日新聞社を退職してから17年になります。

 この度、毎友会から喜寿のお祝いの商品券が突然届き、大変驚きました。

 そうか私は、もう77歳になったのかと自覚せざるを得ませんでした(苦笑)。

 私は晩酌しています。普段は焼酎のオンザロックですが、時折、ウィスキーなどを飲みます。その酒の香りが引き金となって50年前の「浅間山荘事件」での様々な場面が走馬灯のように蘇ります。

 在職中の貴重な思い出話は、1972(昭和47)年2月に軽井沢「浅間山荘事件」の取材本部に派遣されたことです。

 当時、編集事務部に所属していた私は、取材本部の世話係として取材記者達の必要な原稿用紙、筆記用具、現地での雇用車の手配、本社からの新聞配布、弁当配布、出張精算の手伝いなどで毎日、寝る暇もなく働いたことを記憶しています。

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 当初、出張は2~3日だと思っていましたが、1ヶ月以上となり疲労困憊の日々でした。

 取材記者達に配る弁当が、マイナス20度以下の状況で凍ってしまい、割り箸が凍ったご飯に刺さらず食べられなかったので、軽井沢の釜飯を購入したことを覚えています。そんな中で現場の警察車両では暖かいカップヌードルを美味しそうに食べている警察官=写真=を目撃したので、直ぐに本社に連絡して取材本部にカップヌードルを送ってもらい、取材記者達に配布しました。

 取材本部の記者達から、発売されたばかりのカップヌードルは大変喜ばれ感謝されました。

 とにかく軽井沢は寒く記者の皆さんは毎晩、石油ストーブの回りでウィスキー飲んで身体を暖めていたことを思い出します。

 現在、コロナワクチン四回目の予防接種も終わり、次なる「傘寿」「米寿」まで元気に頑張りたいと思っている次第です。

(終身名誉職 福島稔)

 福島稔さんは1945年生れ。1965年に東京本社総務局車両部、編集局編集事務部、事業本部副部長、事業本部企画委員(部長職)、メディア総合企画室委員、事業本部企画委員。2004年、繰り上げ定年退職。