2022年9月20日
エリザベス女王の国葬中継でテレビ出演の黒岩徹さん(82歳)
9月19日(敬老の日)午後7時半からBS・TBS「報道1930」に、元ロンドン支局長・黒岩徹さん(82歳)が出演した。髪が銀髪になって、ロマンスグレーの魅力たっぷり!?
ライブ中継されるエリザベス女王の国葬の解説役。いつもは「イギリスでは1分間に1つも気の利いたジョークを言わないとバカにされるんだ」と言っているが、厳粛な国葬に若干緊張気味。それでも発語はしっかりしていて、年齢を感じさせなかった。
2001年にエリザベス女王から授与された大英名誉勲章OBEも飾られ、「エリザベス女王はサインだけでも毎日、大変なんです」とコメントした。
黒岩さん、というより黒ちゃんは、面白い話があるとすぐ現場に行く行動派。1999年度の日本記者クラブ賞を受賞しているが、その理由に「代表的な英国通記者のひとりとして政治・経済はもとより、市井の話題を文化的背景やエピソードを織りまぜ紹介。特にそこに生活する庶民の顔と心が投影したコラムにみられる、徹底した現場主義と卓越した筆力が評価された」とある。
TV出演の事前連絡に「今後しばらくは英国から世界的ニュースがなさそうで、私のテレビ出演もこれが最後になると思うのでお知らせいたします」とあったが、そういわずテレビ局のオファーを受けて、元気な姿を引き続き見せてください。よろしく!ね。
メールに添付された「女王の評伝」を掲載します。
(堤 哲)
幾多の危機、乗り越え =【評伝】9月10日付朝刊=
70年という英国史上最長の在位期間を誇ったエリザベス女王は、国民に最も信頼され慕われた国王だった。だがその信頼感、尊敬心を得るには、いくつもの英王室の危機を乗り越えなければならなかった。
最初の危機は、伯父で独身の国王、エドワード8世が、2度の離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚しようとして、首相、カンタベリー大主教らの大反対にあい、1936年に退位したときだ。弟君がジョージ6世として即位したとき、長女エリザベス王女が次の国王になることが確定した。エドワード8世の“王冠をかけた恋”によって英王室の権威はいたく傷ついた。エリザベスが、死ぬまで女王として働く決意をしたのは、この退位事件からである。
第二の危機は、52年、妹君マーガレット王女が離婚歴のあるタウンゼント大佐と恋におち、女王に結婚を相談したときである。愛する妹の幸せを願いながらも、女王は英国国教会の首長として王位継承権のある王女と離婚経験者との結婚を許してはならないとの立場に立った。王女に結婚をあきらめさせたことで危機は去った。
第三の危機は、97年、ダイアナ元皇太子妃がパリで交通事故死したときである。孫のウィリアム王子らとスコットランドにいたが、孫を守ることこそ祖母の第一の義務としてロンドンに帰らなかった。世論は、なぜロンドンに帰還しないのか、と激高。女王の権威は地に落ちたといわれた。
国民の怒りを知った女王は、その後王室の威信回復のため、王室費の削減を決め、パブを突然訪問するなど国民と近づく必死の努力をした。これが実を結び、一時戦後最低となった王室支持率は急上昇、女王の権威は復活した。
女王は通常、議会の開会式、叙勲式など儀式を執り行い、チャリティーのパトロンとして福祉の資金集めにも参加する。こうした行事をいやな顔ひとつせずに年間600件もこなしてきた。だから“王室のプロ”と称されたのだ。
さらに外国への公式訪問も多い。90年、アイスランド訪問で蒸気の出る穴を見学した際、風向きが変わって蒸気が女王一行に襲いかかった。逃げ出したお付きのものもいたが、女王は動かず、蒸気が去った後に乗っていた板からゆっくり下りた。女王の落ち着きはらった振る舞いに観衆から拍手が起こった。「ドント・パニック(うろたえるな)」。上に立つものが、慌てふためいてはならぬ、との英国教育の教えを体現していた。女王の威厳である。
女王は死ぬまで国民に奉仕する、との若いときの決意を見事実現した。いくつもの危機を乗り越えた女王は、国民に愛されつつ永遠(とわ)の旅に出たのである。
【黒岩徹・元欧州総局長】