2022年10月14日
元中部本社代表・佐々木宏人さん㉖ある新聞記者の歩み26 支局のもうひとりの若手、のちのオウム事件での激烈な取材の原点?! 抜粋
(インタビューはメディア研究者・校條 諭さん)
全文は https://note.com/smenjo
元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第26回は、甲府支局時代の若手3人のお話の3人目です。クマちゃんの愛称で呼ばれる隈元浩彦さん難しい取材にも積極果敢に当たっていく人でした。それでいて、特ダネをモノにしても自慢したりしない隈元さんは、今も生涯一記者としての道を歩んでいます。
目次
1 難しいことでも「やりましょう!
2 オウム事件に出くわす
3 新雑誌挫折 雑誌ジャーナリズムで苦闘
4 日本一の支局はどのようにして成ったか
5 甲府生活が長編『封印された殉教』への取り組みを生んだ
隈元さんが、今回のインタビューに当たって、佐々木さんに送ったメールの一部を
――松木さんキャップ、小生兵隊時代、死刑事件は2つありました。じゃぱゆきさん(注:石和温泉にいたフィリピンからの出稼ぎ女性)放火殺人事件、春日居(石和温泉の隣町)連続殺人。松木さんは地元・石和を取り仕切る有名なヤクザに直接取材をしているところを、喫茶店のガラス越しに目撃したこともあります。そういう最中、秋山(壮一・デスク)さんに連れられて深夜、小さな殺人事件の現場に行きました。「現場百遍」という言葉を教えてくれました。秋山デスクと着任間もない頃、一緒に昼飯を食べました。(滝野、松木先輩記者にしごかれて)オロオロしているのを見るに見かねたのでしょう。「いいか、新聞記者は、人間が良くても、ネタを取ってこないと生きていけないんだ」。目の前のサンマ定食の塩っ辛く、苦いこと。いまも舌が覚えています――
佐々木さんのQ&Aの一部を――
Q 2018年に刊行されたノンフィクション『封印された殉教』の主人公に、佐々木さんが会ったのも甲府だったということですね。
そうなんです。そう考えるとぼくの毎日新聞退社後の方向性を決めてくれたのも甲府、とういうことになるなあ。
Q どういう出会いだったんですか?
女房がたまたまカトリック信者だったんですが、毎週日曜日、甲府カトリック教会のミサに小学校3年の男の子を筆頭に、子供4人連れて行っていたんですね。ところがこの“宗教二世”(笑)一筋縄でいかないんで、ミサの祈りの際の祈りの言葉「天にまします我らが主よ」と唱えるところに来ると、大声で「なんみょうほれんげきょう(南無妙法蓮華経)!」と言ったりするんですね(笑)。しょうがなくて口封じ役で、ボクも一緒にミサに行きました。 甲府教会に通ううち、ミサ終了後に聖堂わきの信者会館に行くと、山梨県出身の神父の肖像写真が天井近くの壁に掛かっていたんです。そこにメガネをかけた「戸田帯刀」という、ローマンカラーを付けた神父の肖像があったんです。「帯刀(たてわき)」なんて珍しい名前だなと思って記憶に残っていたんです。そうしたらたまたまその年、「山梨県カトリック宣教百年史」というのが発刊されました。それをめくっていると、甲府から車で小一時間の東山梨郡牧丘町(現・山梨市牧丘町)出身の横浜教区長・戸田帯刀神父が、終戦3日後の1945(昭和20)年8月18日午後に横浜の保土ヶ谷教会で射殺されたと書いてあるんですね。それも戦時中、「治安維持法違反で特高にも逮捕されたことがある神父」、「憲兵に射殺された」というんですね。「いやあ、すごい事件があるんだ」と思いましたね。
カトリック内で有名な事件なのかと、甲府教会の人に聞いてみると、誰も知らないんです。それで興味を持ってボチボチ調べ始めて、新聞社を退職してから本格的に北海道から九州まで取材旅行をしながら、カトリック系の隔月刊の雑誌「福音と社会」に2010年から連載を始めて48回、2018年8月に上下巻でフリープレス社から出版にこぎつけました。