2024年1月9日
さまざまな出逢いに導かれ、記者から中高一貫校校長へ
――芝浦工大柏中高校長に転身した元「サンデー毎日」の中根 正義さん
人生は何が起きるか分からない。定年を前に10歳代のころに抱いた夢が実現したからだ。しかも、35年のブンヤ稼業は決して無駄にはなっていなかった。
中学生のころ、私には教員になりたいという夢があった。大学は教育学部に進んだ。
そんな私が、なぜ新聞記者になったのか。それは大学4年時の教育実習がきっかけである。小学1年生を相手にした実習で、入学したばかりの子どもたちが「せんせい! せんせい!」と、無邪気に声をかけてきた。
「社会経験もない自分が『先生』と呼ばれていいのだろうか?」
そうした思いが頭をもたげ、民間企業の会社訪問をしたほか、漠然と興味を持っていた新聞社を“記念受験”してみることに。それが毎日新聞社だった。当時、連載「教育の森」などで教育報道に力を入れていたことが、その理由である。
すると、トントン拍子に話が進んで内定が出て、教員試験も採用通知が届いた。まさかの展開に、大学の指導教官に相談すると、こうアドバイスされた。
「新聞社で社会経験を積んだほうがいい。『石の上にも3年』と言うでしょう。3年か5年、社会でもまれてきなさい。教員になるのは、それからでも遅くない」
中学時代の恩師の紹介で、「教育の森」で健筆を振るわれた毎日OBの藤田恭平さんにも話を聞くことができた。
「毎日はやりたいことができる会社だから頑張ってみなさい」
入社は1987年、初任地は仙台支局だった。当時の支局長は越後喜一郎さんである。支局赴任の前日、地方部長だった根上磐さんから「仙台に行ったらびっくりするかもしれないが、何かあったら、オレのところに直接連絡をしてこい」と耳打ちされた。
実は、根上さんには出版局時代にもお世話になった。歴史小説家、池宮彰一郎先生の本紙連載「本能寺」が評判になり、ムック「池宮彰一郎 歴史舞台をゆく」の編集を担当した時のことである。
池宮先生に同行し、桶狭間や関ケ原などを取材するため、ホテルナゴヤキャッスルに宿泊することになった。当時、同ホテルの社長だったのが根上さんだった。事情を説明したところ、池宮先生のために特別室を格安で手配してくださったのだ。そればかりか、おいしい中華料理をご馳走してくださり、池宮先生に喜んでいただいたことは、とても懐かしい思い出になっている。
話を戻そう。仙台支局で2年過ごした後、静岡支局に転勤となり、寺田健一さん、福井博孝さん、山本進さんと3人の支局長にお世話になった。両支局において、社会部で活躍されたタイプの違う4人の支局長に仕えたことになる。決して出来の良い記者ではなかったが、先輩諸氏に記者としてのイロハをたたき込まれたことは間違いない。
そして、いよいよ本社勤務となった時、山本支局長のご尽力もあり、希望した出版局、サンデー毎日編集部への異動が決まる。出版局には21年間在籍し、サンデーではデスクも含め通算12年働いた。渥美清さんが亡くなった時には追悼別冊、紀宮さまのご成婚では臨時増刊の編集をした。また、同誌の看板企画である大学合格者特集は編集部在職中、ほぼ一貫して関わった。
個人的なことだが、サンデーは父が愛読しており、私にとっても読み慣れた雑誌だった。父が亡くなった時、取材した記事が掲載されたサンデーを手向けたことは、唯一ともいえる親孝行だったかもしれない。
ところで、週刊誌はほぼリアルタイムで即売部数が分かる。2006年、同誌の教育担当デスクになった時、ひそかに心に期したことがある。1月中旬から4月初旬にかけての入試シーズンに、即売部数で水を開けられていた週刊朝日に追いつくことであった。
入試情報を通年で掲載すること、入試シーズンに著名大学や話題の大学トップのインタビューや対談、特集記事などの読み物を掲載することを考えた。教育関係者に入試データだけでなく、読み物も充実していることを知ってもらうことで誌価の向上を目指したのである。
それが奏功したのか、3年目に週朝に即売部数で追いつき、4年目には追い抜くことができた。文科相と東大総長との対談や、東大・京大総長対談、早慶同志社トップ鼎談など、手を変え、品を変えてさまざまな企画を組んだ。そうすることで大学関係者や文科省に人的ネットワークができ、有名大学同士の合併をスクープしたこともあった。
3年か5年のつもりの記者生活は、いつの間にか35年たっていた。しかも、後半の約20年は教育関係の取材や編集が中心だった。大学センター長時代には、駿台予備学校のご協力をいただき、今では年2回、4本社で掲載している企画特集「大学受験NOW」の立ち上げに関わった。中堅・若手広告部員の奮闘もあり、読者の役に立ち、会社にとっても収益になるような特集を立ち上げられたのは望外の喜びといえよう。
そうしたなかで、転機は突然訪れた。2021年秋、知り合いの教育関係者から千葉県柏市にある芝浦工大柏中高の校長就任を打診されたのだ。
「教育現場の経験がない人間に、中高一貫校の校長など務められるのか?」
早速、恩師ともいうべき3人の方に相談したところ、口をそろえて「やってみるべきだ」と。「校長をやりたいという人はたくさんいる。だが、見込まれて声がかかっているんだ。君は教員になりたくて教育学部で学んだはずだ。取材で培った知見を今こそ教育の世界で生かすべきだ」という力強い励ましに、腹をくくり新たな道を歩んでみようと決意した次第である。
教育現場では日々、新たなドラマが生まれている。時に対応に悩まされることもある。そうした時に活力を得られるのは、生徒たちの屈託のない笑顔だろう。
勤務校では記者時代の取材体験を話したり、地元販売店の協力も得て新聞の読み方講座を開いたり、サンデー時代に培った大学情報を基に生徒の進路相談に乗ったりしている。毎日時代の経験は存分に生かされていると言えよう。
そして今、しみじみと感じることがある。毎日時代の先輩諸氏をはじめとした多くの方々との出逢いや支えがあり、今の自分があるということだ。
人生100年時代、改めて夢を大切にしながら、第二の人生を切りひらいていきたい。
(中根 正義)
中根 正義(なかね・まさよし)さんは1963年、岐阜県生まれ、千葉県育ち。千葉大教育学部卒。87年4月、毎日新聞社入社。仙台、静岡両支局などを経て、サンデー毎日編集部編集次長、教育事業本部大学センター長、編集編成局編集委員などを歴任。2022年4月、芝浦工大柏中高校長に就任。