2024年4月8日
元MMJ編集長・科学部の小野信彦さんは、がんと共生しながら二つのブログを展開
会社を退職し年金生活者となると、いよいよもって自らやる事を探し出し、せっせと何やら励みながら、女房の前で忙しいふりをする。お金が稼げる訳でもないのにコツコツと、まさに毎日時代と同じ「貧乏暇なし」だ。
自分でWEBサイトに関する参考書を買い集め、2021年5月に開設したのがブログ『知っておきたい 世界の科学者100伝』(https://kikaku-nono.com )だ。1995年4月から毎日中学生新聞で週1回、2年間連載していた科学コラムを、インターネットで最新の資料を集め書き改めたもので、世界の100人を超える科学者の業績やエピソードを紹介している。一人ずつのイラストも自分で描いた。
毎中での連載は東京本社科学部からつくば支局に転勤する際に1年でやめるつもりだったが、「あと1年間(約50人分)続ければ本になるかも」と毎中のH編集長におだてられ、地方での資料集めに苦労しながらも書き続けた。しかし結局、当時の毎日出版局からは「他にも類似書が出ている」との理由で出版を断られ、残念にもこれまで日の目を見ることはなかった。
『科学者100伝』のブログ開設に踏み切ったのは、要は「いつ死んでもいいように、自分が好きでやった仕事の痕跡を少しでもこの世に残しておこう」と望んだのが本音だ。
実は、2018年6月に総合病院で肺がんが発見され、小腸転移のステージ4と認定された。化学療法として、前年に保険認可されたばかりの免疫薬キイトルーダの点滴投与が3週間ごとに試みられた。間もなく小腸腫瘍の縮小による腹痛が起きたため、2回の投与だけで終わったが、その後2か月ごとのエックス線撮影で左肺の直径約7㎝の腫瘍がみるみる縮小しているのが確認された。
小腸については、同年11月の深夜に腸壁に穴(小腸せん孔)が開いて緊急手術が行われた。除去した小腸の病理検査の結果、腸管をほとんど塞いでいた腫瘍は痕跡すら消えており、キイトルーダの薬効で腫瘍が崩壊してせん孔が生じたものと考えられた。
こうして肺がん治療はいろんな場面に遭遇しながらも、わずか2回の免疫薬の投与だけで寛解に向かい、現在(2024年4月)までに、エックス線画像やより詳細なPET-CT画像にもその痕跡すら映らなくなった。
肺がん治療の主治医は「私は新薬を使ってみただけ、何もしていないよ」と、まるで『科学者100伝』に出てくる近代外科医の父アンブロアズ・パレ(1510~1590年)と同じく、「私が包帯(処置)をし、神がこれを癒(いや)したもうた」と言わんばかりの謙虚さだ。
もう一つ、私の生命を脅かしていたのが悪性リンパ腫だ。これは腸間や腎臓、脾臓のそばのリンパ腺がプツプツと腫れて腹腔内に広がっている様子が、肺がんと共にCT検査で確認されていた。その進行の具合を、肺がんの治療を優先させながら注視していたのだ。
悪性リンパ腫については筑波大学病院で詳しく検査され、進行の遅い「濾(ろ)胞性リンパ腫」と分かった。抗がん剤リツキサンを中心とする化学治療が21年12月末から始められたが、期待した効果が得られなかったため、23年2月からは主体の抗がん剤をガザイバに切り替えた。このガザイバがうまくヒットし、1年を過ぎた今では血液検査のある指標が正常値に落ち着き、CT画像でもリンパ腫の痕跡が確認できないほどになっている。
『科学者100伝』は肺がん治療が一段落して、次の悪性リンパ腫(ろ胞性リンパ腫)の治療に向かわんとする時期に開設したことになる。科学者の紹介記事を週に2、3本のペースで(もちろんイラスト付きで)アップし、1年後の22年5月に「100伝」の掲載をやり遂げた。
しかし、別の見方をするならば、再々就職先をがん治療のために辞職して半年を過ぎて『科学者100伝』を立ち上げ、これから「〈無職の体の弱い年金生活者〉としてどう生きるか」と自問し、その答えを見つけようと、ガムシャラに作業に集中してきたのかもしれない。
出てきた答えが「生きている間に、残された者として何とかしなければ」ということ。直接のきっかけは2022年2月24日に始まったロシア・プーチンによる残忍極まるウクライナ侵攻だ。同年5月にツイッター(Ⅹ)のアカウント「ののNONOWAR」を取得しウクライナ国内の戦況や世界の情報収集に努めながら、自分のできることを考えている。
もう一つ、自分の新たな意見発信の場として22年6月5日に開設したのがブログ「400字コラム『草臥(くたび)れ草紙』」(https://kikaku-nono.fun )だ。自分の思いや言いたいことを400字にまとめ、新聞風の縦書き2段の画像にしてアップしている。時々は3コマ漫画「レイン坊主」も描いて、Ⅹとも連動させて載せている。趣味的と言われようが、毎回100人くらいは見てくれているようなので、何とか元気で生きている間は頑張ろうと思っているのです。
(小野 信彦)
「400字コラム〈草臥れ草紙〉」(https://kikaku-nono.fun)の画像例
小野信彦(おの・のぶひこ)さんは1955年12月5日宮城県生まれ。宮城県石巻高校、名古屋大学農学部卒。1982年5月毎日新聞入社。青森支局、沼津支局を経て東京本社科学部、つくば支局、出版局JAMA日本語版・毎日ライフ編集部、デジタルメディア局学生新聞本部、MMJ編集長。2010年11月退職。2021年5月にブログ「知っておきたい 世界の科学者100伝」(https://kikaku-nono.com)、2022年6月に「400字コラム〈草臥れ草紙〉」(https://kikaku-nono.fun)を開設した。