元気で〜す

2024年7月5日

「ボケるまで生きてやる!」松川事件大特ダネの倉嶋康さん91歳「長壽祝賀会」=フェイスブック転載(6月30日開催)

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前列ほぼ真ん中の白い上下が倉嶋康さん。その左が奥様

 梅雨の蒸し暑い中、私にとりましてはとても楽しく、思い出に残る1日でした。故里長野市で「長壽祝賀会」を開いていただいたのです。会場のホテル最上階には昔からの友人、親戚、それにFB友達としてお名前しか知らない方たちが、市内だけでなく遠く松本、大町、白馬、群馬、埼玉からいらして下さいました。

 司会を仰せつかった妻が心配したのはお互いに知らない方が多いので、ブッフェスタイルの会合に弾みがつくだろうかということ。そこで私が一段高いステージに立ち、一人ずつ壇上に上がっていただいて、マイク片手にショートインタビューをすることとなりました。

 男性も女性もよく話してくださいました。自己紹介、私と知り合ったいきさつ、そのため苦労した思い出等々。テルミン奏者の丸山景也さんは自己紹介の代わりに私への贈り物として、前もって設営しておいた楽器を前に相方の中西雅枝さんと自作曲を演奏して会場を盛り上げてくれました。

 集まった顔ぶれは多士済々でルツボの如し。町で妻がブティックをしていた時のお客様、私が新聞記者をしていた時のライバル紙副社長、長野オリンピックを代表して環境メッセージをアメリカへ届けた時にネバダ砂漠を自転車で一緒に走ってくれた仲間、凧揚げに世界各地を歩いた飛天隊隊員、市民と観光客のため無料貸自転車を提供したボランティア仲間、それを利用した他県からの方…。

 よくまあいろんなことをやったものだと我ながら驚きつつお話を伺っていたため、予定時間を1時間延長して3時間も壇上で立ちっぱなし。全員が終わった時は足が棒のよう。でも元校長先生の小田切澄男さんが飛び入りのハーモニカで吹く甲子園の「栄冠は君に輝く」を伴奏に、お客様の元気のいい合唱を聞きながら冷たいビールをぐーっと干して『ボケるまでは生きてやるぞ』と思ったのでした。

(倉嶋 康)