2018年3月7日
幻の新元号スクープ
朝日新聞3月7日朝刊に、「幻の新元号スクープ/発表直前、毎日が入手」の大見出しが躍った。記事は、こう書き出している。
1989年1月7日午後2時ごろ、首相官邸の記者クラブ。毎日新聞政治部の男性記者が、仮野(かの)忠男・官邸キャップに1枚のメモを手渡した。政府関係者から極秘入手した。それには、手書きで「平成」とあった。
「取れました! 平和の『平』に、成田の『成』。ヘイセイです」
仮野氏は東京・竹橋の本社で待つ橋本達明デスク(後の主筆)に電話した。
毎日新聞創刊130周年を記念して発行した社史『「毎日」の3世紀』(2002年刊)には、こうある。
この速報は読者数の一番多い夕刊3版から入った。小渕恵三官房長官(当時)が記者会見で正式に「平成」を発表したのは、それから30分以上も後の午後2時36分のことである。
他社は小渕官房長官の会見を聞いて最終4版に入れるのがやっとだった。
朝日新聞の記事に戻る。
元号をスクープしようと、報道各社は熾烈(しれつ)な競争を繰り返してきた。「大正」は朝日新聞の新人記者だった緒方竹虎(故人)が特報。昭和改元では毎日の前身、東京日日新聞が報じた「光文」が誤報となり、社長が辞意を表明する事態となった。平成改元で、毎日は「光文事件の雪辱を果たす」と誓っていた。
新元号「平成」スクープ――。89年2月1日付の毎日の社内報には大見出しが躍る。
だが新聞協会賞は申請されず、読売新聞は「平成改元」(行研)で「スクープもなく、新元号『平成』は決まった」とした。
◇
毎日新聞政治部の「元号特別取材班」榊直樹記者(現・愛知東邦大学長)は、予定稿に「平成」と入れ、出稿した。しかし、即、輪転機は回わらなかった。
「光文事件の二の舞いになったら」。どうも、それがブレーキになったらしい。
「平成」は誰が掴んだのか。A記者と匿名である。「ひとえに取材源を秘匿し守るためである」と社史は綴っている。 取材チームに「主筆賞」が贈られた。
【特別取材班】担当デスク橋本達明、榊直樹、小松浩
【首相官邸クラブ】キャップ仮野忠男、松田博史、長田達治、冠木雅夫、平松壮郎、中山信、龍崎孝
朝日新聞の記事の後半――。
朝日新聞政治部では87年秋から、植木千可子記者(現・早大教授)ら2人が元号担当となった。中国の古書「四書五経」を引きながら、およそ100の私案を作成。その中には「平成」も含まれていた。
当時、小渕官房長官の担当記者だった星浩氏(現・ニュースキャスター)は小渕氏が住む東京・王子の私邸を訪ね、植木記者らが作ったリストを2度見せている。その時ははぐらかされたが、小渕氏は後に「あの時は心臓が止まるかと思った」と打ち明けたという。
◇
平成31年5月1日から新元号に変わる。
スクープ合戦は、すでに始まっている。
(堤 哲)